三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

2012-05-01から1ヶ月間の記事一覧

蜀漢の正統のゆくえ

こないだちょっと魏蜀正閏論の話になったときに、蜀漢が正統として弱いのは、やっぱりこれを継承する王朝がなかったからだろうという感じの話をしました。 曹魏でしたら、司馬晋がここから禅譲を受けたことによってその正統性が保障されました。晋以降も劉宋…

『後漢書』は梁冀派閥がだいきらい その3

本日の矛先は趙戒です。 趙戒は范曄『後漢書』には列伝を持たず、息子趙典の伝にて多少触れられる形です。 趙典 字は仲経、蜀郡成都の人なり。父の戒、太尉と為る。桓帝立つ。定策するを以て廚亭侯に封ぜらる。……建和初、四府 表し薦め、徵され議郎を拝す。(…

『後漢書』は梁冀派閥がだいきらい その2

(袁)盱 のち光祿勳に至る。時に大將軍梁冀 朝をほしいままにし、内外 阿附せざる莫し。唯だ(袁)盱と廷尉邯鄲義 身を正し自ら守す。桓帝 冀を誅するに及び、(袁)盱をして持節して其の印綬を収めしむ。(『後漢書』袁安伝) 袁盱とは、袁安の孫にあたる人です。 …

『後漢書』は梁冀派閥がだいきらい その1

順帝之末、京都童謠曰「直如弦、死道邊。曲如鉤、反封侯」。案順帝即世、孝質短祚、大將軍梁冀貪樹疏幼、以為己功、專國號令、以贍其私。太尉李固以為清河王雅性聰明、敦詩絓禮、加又屬親、立長則順、置善則固。而冀建白太后、策免固、徵蠡吾侯、遂即至尊。…

後漢の名族、三公輩出ランキング

「四世三公」と言いますけれど、それはつまりどれくらいすごいのか。 たとえば弘農楊氏は「四世太尉」ですし、蜀郡趙氏も四代続けて宰相格を出してますし。割といるんですね。 だから袁家にしても、そこまでめちゃすごいって訳ではないのかなって。 というこ…

三国正閏論あがりさがり

最近ではその様な論文を読みます。 だいぶんイメージが変わりました。

諸史料における趙典の最期

前回までの記事では范曄『後漢書』の中での趙典の不思議な扱われ方について書きましたが、趙典の問題はそれに加えてもうひとつ、趙典の最期について多くの異説が残されていることにあります。 趙典の最期に関する記事は以下の四書に見られますが、いずれも異…

その他の後漢史料における「趙典」

昨日の記事で、范曄『後漢書』においては、 ・党錮伝に記録される事績不明の「八俊の趙典」 ・太常などを歴し列伝まで持つ「蜀郡の趙典」 これらが何故だかイコールで結びつけられていないことを書きました。 それでは、范曄以前の諸家「後漢書」では趙典は…

范曄『後漢書』における「趙典」

後漢末の八俊のひとり趙典は、『後漢書』においては党錮伝に「唯趙典名見而已」とあるだけで、ここ以外には事績などが見当たらないとされている、と昨日の記事では書きました。 ところが検索してみれば瞭然、実は范曄『後漢書』の様々なところに趙典の事績は…

范曄『後漢書』における、三君八俊八顧八及八廚の一覧

いわゆる三君八俊という、後漢末に宦官たち濁流勢力と争った清流派「党人」の番付は、実は史料によっていろいろ違っています。 それが范曄『後漢書』ではどうなっているかというと、范曄は彼らのために「党錮伝」を立て、三君以下の顔ぶれを以下のように定め…

三国志blog of the Apr

4月に更新された三国志ブログさんで興味深かった記事を集めました。ヽ(・ω・)/

気まずい人たち

【25年】 ____ / \ かわいそうな更始陛下… / _ノ ヽ、_ \ 赤眉のせいで… / /⌒) ⌒゚o \ もし洛陽まで来れたら淮陽王にするお | / /(__人__) | 本当に来れるものならな… \/ / ` ⌒´ / / ̄ ̄\ / \ ノ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ノ |:::::: | イ二二∞∞∞∞…

劉璩の続柄をめぐって -劉理と劉淵

『続三国志』における劉淵こと劉璩は、こちらの家系図の通り劉禅の子となっています。 ところが『続三国志』の原書である酉陽野史『三国志後伝』を見ますと、「劉理の子」とされているのです。劉理とは、劉備の三男にして安平王に封じられた皇族です。 しか…

『四庫提要』史部正史類 「三国志」

【原文】 晉陳壽撰。宋裴松之注。壽事蹟具晉書本傳。松之事蹟。具宋書本傳。 凡魏志三十卷。蜀志十五卷。吳志二十卷。 其書以魏爲正統。至習鑿齒作漢晉春秋。始立異議。自朱子以來。無不是鑿齒而非壽。然以理而論。壽之謬萬萬無辭。以勢而論。則鑿齒帝漢順而…