三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

2011-05-01から1ヶ月間の記事一覧

蜀郡趙氏D-1 【趙温①】

字を子柔。益州蜀郡成都県の人。 益州には豪族趙氏が広く生息していたようなのですが、特にこの蜀郡趙氏は趙戒・趙典・趙謙・そして趙温という当代きっての官僚・士大夫を輩出した極め付きの大姓です。 その中でも趙温は三公を歴任―それも十数年に渡って、と…

蜀郡趙氏D-2 【趙温②】

趙温が司徒に就任した翌年、李傕と郭艴の抗争が本格化し、三公以下重臣はその火消しに奔走することになります。趙温もまた傍観していなかったようです。 それは李傕が献帝拉致を謀った時、趙温はきわめて強い言葉でそれを諫めます。それを渡邉先生の翻訳で引…

村上春樹『風の歌を聴け』 段落とあらすじ

-1・2- 「この話は1970年の8月8日に始まり、18日後、つまり同じ年の8月26日に終る。」 -3- 1969? 鼠とジェイズ・バーにて。金持ちについて。*1 -4- 1967 鼠との出会い。 「僕が鼠と初めて出会ったのは3年前の春のことだった。それ…

せめぎ合う十三歳 【陸鬱生】

張白の妻は陸績の娘である。鬱林で生まれたので名を"鬱生"という。 張温の弟である張白に嫁いだが、張温が罪を被ったため張白らは配流された。鬱生は離婚され、また競って婚姻の申し出があったものの、決して再婚しようとはせず、張温の姉妹三人を大切にした…

長楽郡公主 【劉曼】

この劉曼という女性が三国志大戦に追加された時に、一体どれほどのユーザーが彼女のことを知っていたでしょうか。セガもすごい重箱を突っついたものです。それとも既に何かの創作に登場していたのでしょうか? 魏書曰:十二月丙寅,賜山陽公夫人湯沐邑,公女…

司徒荀爽

『三国演義』第六回にて、董卓が提案した遷都の計画を三公が揃って反対する場面がありますが、何故かそこで荀爽の官職が司徒となっているのです。直前に同じく反対意見を述べた楊彪も司徒と記されていますので、わずか数行のうちに司徒が二人も並ぶ始末、明…

関羽の娘で村おこし 【関銀屏】

関羽の三番目の娘。父親ゆずりの武勇を持ち、女性であるにもかかわらず、諸葛孔明の南蛮討伐に参加したと言われている豪傑。孫権の息子との縁談話が持ち上がったが、父関羽が「犬の子に虎の子はやれぬ!」と断り、蜀と呉の関係が悪化した。 「父上譲りのこの…

貞節と義理 【夏侯令女】

うちのブログ、「三国志 女性」という検索ワードからいらっしゃる方が他のダントツで多いんです。以前に仙石先生の著書の感想を書いたためだと思いますが、世間ではやはりそういう需要が多いというか・・・そうですよね、ぼくも孫大虎大好きだし・・・董白は…

司馬順の抗議

順字子思,初封習陽亭侯。及武帝受禪,順歎曰:「事乖唐虞,而假為禪名!」遂悲泣。由是廢黜,徙武威姑臧縣。雖受罪流放,守意不移而卒。*1 司馬順は司馬八達の七番目、司馬通の次男にあたります。司馬昭の従弟、司馬炎の族父(従兄弟違い)ですね。司馬炎によ…

曹魏皇族の侯

曹魏の皇族は原則として王・公に封じられ、逆に曹魏の王・公も皇族に限られていたようです*1。 ですが一時的に侯に封じられていた皇族がわずかにおりまして、この侯の爵位をどう見るかが目下問題になっております。臣下が与えられていた県侯などと同様の「列…

曹魏皇族の公

昨日に引き続きまして、今日は公爵です。 諸侯を公に封建することは光武帝の初期にも行われていましたが本当にごく最初期のみで、曹魏のように王と公とで兄弟を差別することは後漢でもこの後の西晋でも見られない処遇です。 (1)曹琬・・・長子公(222〜253) …

曹魏皇族の県王

曹魏の諸侯は、221年に公であったこと、224年〜231年に県王であったことを除けば、原則として一律で郡王に封建されています。ですが一部ではその原則から外されて県王・公・侯などに留められた者がいました。 このように爵位によって諸侯の間に格差…

宜都王司馬祥

『晋書』恵帝紀の永寧元年の記事に、 「徙南平王祥為宜都王」 という一文があります。 南平王も宜都王もこの一文以外には『晋書』にはありません。 また司馬祥なる人物は、愍帝の兄に同名の人がおりますが、彼は淮南王を継いでいますのでおそらく関係はない…

司馬晋の諸侯王一覧

司馬晋の諸侯王一覧 八達編、宣文帝編、武帝編、東晋編の4つがあります。 またオマケにこれまでに作った東漢〜三国の諸侯一覧もまとめました。 しかしなにせ諸侯の数も多いわ、両晋の期間も長いわ、一方で1年未満の諸侯もいるわなど、大変複雑でしたので少…

并州刺史丁原 その2

丁原シリーズ第3弾です。 ・荊州刺史丁原(2011/4/4) ・并州刺史丁原 その1(2011/5/2) その時、ひとりが宴卓を押しのけてつかつかと進みいで、大声に叫んだ。……董卓が見れば、荊州の刺史丁原である。 この董卓との対決の箇所に関して、最初の記事では「嘉靖…

并州刺史丁原 その1

以前書いたこちらの記事の続きになります。 荊州刺史丁原(2011/4/4) 本来は并州刺史であった丁原が、演義類では"荊州"になっているということを、董卓と丁原の対決の場面から書いたのが前回の記事になります。 しかしこの部分を見逃しておりました。原文は李…