三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

2011-11-01から1ヶ月間の記事一覧

『続漢書』百官志、関内侯

關内侯、秦の賜爵十九等を承け關內侯と為す、土無く、寄食在所縣,民租多少、各々戸數を限と為す有り。 横浜の関内なんてのは、明治維新で新爵制が出来て後の関内侯を賜った人たちが多数住んだので、関内って言うらしいです( ´゚ω゚`)

『続漢書』百官志、列侯

列侯、食む所の縣を侯國と為す。 本注曰く、秦爵の二十等を承け、徹侯と為す。金印紫綬、以て功有りを賞す。功の大なる者は縣を食み、小なる者は郷亭を食み、其の食む所の吏民を臣とし得る。 後に武帝の諱を避け、列侯と為す。武帝元朔二年、令して諸王に推…

『続漢書』百官志、王国

皇子を王に封じ、其の郡を國と為し、毎に傅一人、相一人を置き、皆二千石なり。本注曰く、傅は善を以て王を導すを主り、禮すること師の如く、臣にあらざるなり。相は太守の如し。長史有り、郡丞の如し。 漢初諸王立ち、項羽の諸王を立つる所の制に因りて、地…

『後漢書』百官志、宋衛国

衛公、宋公。本注に曰く、建武二年、周の後の姫常を封じて周承休公と為す。五年、殷の後の孔安を封じて殷紹嘉公と為す。十三年、姫常を改め衛公と為し、孔安を宋公と為す。以為らく、漢の賓、三公の上に在り。 "衛相"って官職が出てくるんで、当たり前ですけ…

黄巾に負けた王様のその後

「三国与太噺」−黄巾に負けた王様たち この記事で紹介した安平王劉続は、黄巾の乱で捕虜となり、一度は国に戻れたのですが、その後誅殺されてしまいます。 その顛末を紹介しているのが以下の『後漢書』李固伝です。 (李燮は)霊帝の時に安平相を拝す。是に先…

青梅、茶を煮て英雄を論ず

反骨の相

金旋が敗れ武陵城まで逃れると、鞏志は城上に立って曰く「汝は天の時に従わず自ら敗亡した。私は百姓と共に劉備に降るぞ」 言い終わらぬうちに一矢が金旋の顔面に突き刺さり、金旋は馬から落馬した。鞏志は城を出て降伏し、金旋の首を張飛に献上した。 劉備…

劉娥

劉聡の建元元年正月、流星が平陽の北十里に落ちた。 それを見れば"肉"で、その臭いは平陽まで届き、哭き声は昼夜止むことがなかった。 数日後、皇后の劉娥が蛇と虎を産んだ。二匹は暴れまわって逃げ出したが、その後"肉"の傍らで見つかった。 この時、劉聡は…

劉娥と劉英

劉聡の妻の劉娥は字を麗華といい、太保劉殷*1の娘である。劉聡は召して右貴嬪として甚だ寵愛した。劉娥は皇后を拝し、……薨去するに及び、武宣皇后と諡された。 その姉妹の劉英は字を麗芳といい,劉娥と共に召されて左貴嬪を拝した。武徳皇后を追諡された。 ―…

劉芳

皇后の劉氏は病が篤くなると、泣きながら「妾の叔父劉昶は子がなく、妾を幼い頃から養ってくれました。今その恩に報いたく思います。また妾の叔父劉皚の娘の劉芳は徳色が備わっておりますので、願くば彼女を後宮に入れていただけますよう」と訴えた。言い終…

柴田錬三郎『柴錬三国志』(昭和41年)

卒論の没ネタを横流し(´・ω・`) 正式なタイトルは『英雄ここにあり』。昭和41年から43年まで連載。*1 いわゆる『柴錬三国志』ですね。『秘本』や『北方』などと並んで現代でも割とポピュラーな「三国志小説」だと思います。 ストーリーは桃園結義から出師…

貂蝉の再登場

呂布は陳宮の言を聞きても心を決めることができず、貂蝉に打ち明けた。貂蝉が曰く「将軍は私を思って、軽々しく城から出ることありませんよう」呂布曰く「憂慮することなかれ。我に画戟と赤兔馬あり、誰があえて近づけよう」……呂布はこれ以降終日出ることは…

廖化、長寿の謎について

廖化は元黄巾賊である。 廖化は蜀漢の滅亡後に死ぬ。 黄巾の乱で20才ほどだとしたら、没年は100才! この謎に対してネットでは、以下の「三国志博物館集解」さんの様に、廖化が黄巾賊という設定が演義の創作であることを指摘、よって廖化の長寿も演義の創作…

『反三国志』華歆と『三国志演義』李儒の最期

「今日の記事はいささか残酷な表現が含まれる」 「よってそれらが苦手な者は閲覧を控えた方がよい」 「仁者の風上におけん、まったくけしからん話だな」

第2回三国志感謝祭(11/5)

いよいよ今週に迫った三国志感謝祭ですね! ↓↓↓ 「三国志感謝祭公式ブログ」 昨年に続いた第2回、 ありがてぇ・・・っ!ありがてぇ・・・っ! 前売券もゲットヽ(゚∀゚)ノ 去年と同様の新宿ロフトプラスワンでの開催ですね。 僕は去年の感謝祭で初めてココに行…