三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

2011-06-01から1ヶ月間の記事一覧

吉川英治『三国志』(4) 〜呂布の死

北方、宮城谷、蒼天航路、無双、、、 などなど各ジャンル様々な"三国志入門"が躍動する現代にあってもなお色褪せない吉川三国志を改めて読み返してみた感想です。 呂布の乱なのに感想があまり・・・ない、、 ●手製の玉璽(講談社文庫版(1980)第2巻p237) けれ…

長沙の劉氏、劉封

劉封はもと羅侯の寇氏の子にして、長沙劉氏の甥なり。 先主荊州に至り、未だ継嗣あらざるを以て封を養い子と為す。 自分これまで劉封の出生を「羅侯の寇氏の子」「異姓養子」という印象を強く持ちすぎて、長沙劉氏の甥であるという設定を完全に見逃していま…

吉川三国志 【貂蝉】

元々『演義』以前からの民間説話を出身とする貂蝉。なので小説や演劇によってその結末は様々なのですが、吉川三国志のような連環の計と共に自害するパターンはおそらく初めてなのではと思われます。*1。 原典『三国演義』では貂蝉の結末は描かれないまま、呂…

吉川英治『三国志』(3-b) 〜董卓の乱

北方、宮城谷、蒼天航路、無双、、、 などなど各ジャンル様々な"三国志入門"が躍動する現代にあってもなお色褪せない吉川三国志を改めて読み返してみた感想です。 ●曹操の家系 王允もいったとおり、彼の家柄は、元来名門であって、高祖覇業を立てて以来の――…

吉川英治『三国志』(3-a) 〜董卓の乱

北方、宮城谷、蒼天航路、無双、、、 などなど各ジャンル様々な"三国志入門"が躍動する現代にあってもなお色褪せない吉川三国志を改めて読み返してみた感想です。 ●定州の劉恢 『演義』でちょこっと登場する架空の人物ですが、安喜県尉を棄てた劉備たちを保…

曹魏皇族の郷公

諸侯王の庶子の封建というのは、たぶん漢武帝の推恩令に始まると思います。しかしこれは単に次男坊に食い扶持を恵もうというものではなく、その真意は広大な諸侯王の領土を削ることにありました。これが後漢になり諸侯王の権力が大幅に削がれますと、庶子封…

漢末諸劉氏の出自

いつもよくわからなくなっちゃうのでちょっとまとめです。 他にお仲間がいれば、教えてください。 ◆劉岱・劉繇 高祖の子、齊悼恵王劉肥の後裔。*1 ◆劉表 景帝の子、魯恭王劉餘の後裔。*2 ◆劉焉 景帝の子、魯恭王劉餘の後裔。*3 ◇劉虞 光武帝の子、東海恭王劉…

伊藤晋太郎「関羽と貂蝉」

伊藤晋太郎先生の論文「関羽と貂蝉」(『日本中国学会報』、2004)を読んだ感想ノートをそのまま記事にしました。 伊藤先生は言わずと知れた関羽をご専門にされている先生ですが、個人的にはこの論文では関羽よりむしろ貂蝉の人物像の変化についての方が興味深…

蜀郡趙氏B-3 【趙典③】

前記事で見た通り、『後漢書』趙典伝は、彼の最期を「(国師に推されたが)たまたま病死した。諡して献侯」と書いています。 しかし同伝李賢注に引かれる謝承『後漢書』が、「竇武、王暢、陳蕃らと宦官誅滅を図るも、失敗して獄に下され、自殺した」と真逆の…

蜀郡趙氏B-1 【趙典①】

「趙典は字を仲経、蜀郡成都の人。父の趙戒は太尉となり、桓帝擁立によって廚亭侯に封じられた。」*1 清流人士の筆頭グループ、八俊の第七位、趙典の列伝はこの様な書き出しで始まります。 范曄が趙戒を「糞土の如し」と書いたことは先日の通りであり、それ…

蜀郡趙氏B-2 【趙典②】

桓帝の初期、親梁冀の権道派としてデビューした趙典でしたが、父と梁冀が世を去ると、次第に清流派官僚の片鱗を見せ始めます。 特にその桓帝代後半に出された、皇帝の恩寵によって諸侯となった者を非難する上奏が印象的です。表向きは功無き者が諸侯になると…

蜀郡趙氏A 【趙戒】

字は子伯。父は趙定。*1 謝承『後漢書』によれば趙戒は「経学に詳しく」、「荊州刺史となり梁商の弟である南陽太守を弾劾し」、「各地の太守として不法な豪族と宦官縁故の者を免職する」など剛腕清廉の官僚として描かれています*2。 ですが『後漢書』本紀に…

蜀郡趙氏C 【趙謙】

字を彦信。八俊趙典の兄子にして、十五年司徒趙温の実兄であります。 弟と相次いで三公に登るなど、後漢ではこれ含め3例しかないです。 しかし趙謙の名前が出る最初は、霊帝中平元年、汝南太守として黄巾賊に敗北するという、ちょっと恥ずかしいものでした*…