三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

2011-01-01から1年間の記事一覧

平成二十三年のまとめ

てぃーえすさんのまとめが楽しそうだったので僕も真似しましたヽ(゚∀゚)ノ こうやって見ますと、下半期から露骨に演義厨へと傾倒していたことがよくわかります(´・ω・)

その後の晋帝

(元熙二年)劉裕(恭)帝を以て零陵王と為し、秣陵に居せしむ……、裕は后兄叔度をして后に有間を請わしめ、兵人垣を踰えて入り、内房に帝を弒せしむ。時年三十六。諡して恭皇帝。(『晋書』恭皇帝) 宋の武帝劉裕は、曹丕・司馬炎の例に従い、位を譲った恭帝司馬徳…

週刊『反三国志演義』、第四回

☆第四回 旧憤を泄らして張繍が孫権に身を投じ 先声を挫いて甘寧が楽進を射る ※文庫版110ページ〜122ページ ○あらすじ 曹操は荀攸の進言に従い、荊州へは曹洪を派遣し、本命の江南攻めには自ら大軍を率いて出陣する。 さてこれより前、曹操に降った張繍…

『李毛異同(7)』 ‐諸侯十八鎮の紹介

曹操檄文を発し去後、各の鎮する諸侯、皆な兵を起こし相応ず、第一鎮、後將軍南陽太守袁術。第二鎮、冀州刺史韓馥。第三鎮……。(「毛本」第五回) 「毛宗崗本」は諸侯十八鎮の紹介に際してその官爵を書くのみですけど、「李卓吾本」では対句にてその人の性格も…

『李毛異同(6) ‐袁紹の系譜

何進が之を視れば、乃ち司徒袁逢の子、袁隗の姪。名を紹、字は本初なり。(「毛本」第二回) 「毛宗崗本」が「袁隗の甥」とするところを、「李卓吾本」では「袁安の孫」としています。 「袁安の孫」とした方がその輝かしい家系が一目に分かりますが、一方でこ…

『李毛異同(5)』 ‐劉焉入蜀

詔して孫堅を封じて烏程侯と為し、劉虞を封じて幽州牧と為して兵を領して漁陽に往かしめ張舉と張純を征せしむ。(「毛本」第二回) 各地で頻発する叛乱を鎮めるため、長沙に孫堅、幽州に劉虞とそれぞれ派遣される場面ですが、「李卓吾本」ではここで討伐将軍と…

『李毛異同(4)』 ‐銅臭宰相

帝はまた趙忠等を封じて車騎將軍と為し、張讓等十三人を皆な列侯に封ず。(「毛本」第二回) 十常侍の専横を示すエピソードのひとつとして、「李卓吾本」ではここに太尉張温・司徒崔烈が十常侍に媚び賂して三公の位を得たという、いわゆる「銅臭宰相」のくだり…

『李毛異同(3)』 ‐曹操の系譜

操の父曹嵩、本の姓は夏侯氏なり、中常侍曹騰の養子と為るに因りて、故に姓曹を冒す。(「毛本」第一回) 一見すると妥当で客観的な紹介をしている様に思えますが、ここには毛宗崗の明確な曹操批判が表れています。 毛宗崗が底本とした「李卓吾本」においては…

『李毛異同(2)』 ‐劉備母を拝す

次日、桃園中において、三人焚香し再拜して說誓し曰く……。玄紱を拝して兄と為し、關羽これに次し、張飛弟と為る。(「毛本」第一回) 「毛宗崗本」では削られておりますが、「李卓吾本」においてはここで「共に玄徳を拝して兄と為し、関羽これに次し、張飛を弟…

『李毛異同(1)』 ‐モノローグ

『三国志演義』のエディション、「李卓吾本」と「毛宗崗本」の比較をします。 「―そもそも天下の大勢は、分かれること久しければ必ず合し、合すること久しければ必ず分かれるもの……。」 その王朝観で有名な、『三国志演義』の導入部分です。 天下が統一され…

週刊『反三国志演義』、第三回

☆第三回 他人の刀を借りんとして周郎が計を設け 虚を実となして曹操が兵を興す ※文庫版98ページ〜109ページ ○あらすじ 劉備が荊州を得た事に、曹操・孫権はそれぞれ懸念を抱く。特に孫権は、かねてから狙っていた荊州を横盗られた嫌悪と、江東にとって…

架空の父 【夏侯令】

『三国志』曹爽伝に「夏侯文寧の女、名して令女。」とある通り、割鼻で有名な夏侯令女の父親は夏侯文寧と言います。 それが夏侯令女を「夏侯の令女」ではなく「夏侯令の女(娘)」とする誤りがありまして、よって夏侯令ってゆうほんとはいないはずのお父さんを…

30年に一度の三国志ブーム

特にちゃんと調べたわけでなく、卒論をやっとる時にそんな印象を受けただけなので、マヤの予言みたいな感じで読んでいただきたいのですが(・ω・) スタートは1840年頃、天保年間の『絵本通俗三国志』の刊行です。 その30年後の1870〜80年代、明治1…

吉川英治『三国志』(昭和15年)

吉川英治『三国志』について書きました 今また書いています|ω・`) きっとそのうち書きあがると思います。 書きあがりました。 袴田郁一「吉川英治『三国志』の原書とその文学性 ―近代日本における「三国志」の受容と展開」(『三国志研究』八、二〇一三)

週刊『反三国志演義』、第二回

☆第二回 江東に闘って孫権が以前の仇に報い 荊州を譲って劉表が後々の患を憂う ※文庫版59ページ〜97ページ ○あらすじ 文武の名将が揃った劉備陣営、いよいよ今後の方策が諸葛亮によって掲げられる。天下三分の計である。劉備これを良しとし、こうして劉…

八丈島始祖伝説、女が女を生む

「南海タイムス社」 ‐特集「始祖伝説 問われる真偽 原本にない丹那婆伝説」 http://www.nankaitimes.com/toku_kiji/tanaba.html 島内で最も有名な始祖伝説「丹那婆伝説」が、実は誤った引用によるものだったのでは・・・。 それが上記南海タイムスさんの特集…

『正史』に書かれた八丈島

今から200年ほど前、 高橋與市、 という漢学者が八丈島は三根地区におりました。*1 この人は著作『綜嶼噺話』で、以下のように述べているそうです。 『後漢書』巻一一五の東沃沮の条に、 「海中ニ女国アリ、男ナシ。人或ハ伝フ、ソノ国ニ神井アリ、之ヲ窺…

やるそう叡

週刊『反三国志演義』、第一回

☆第一回 詐りの手紙を見抜いて水鏡先生が徐庶を引き止め、 徐庶の母を迎えんとして諸葛孔明が趙雲を派遣する ※文庫版22ページ〜58ページ ○あらすじ ―『反三国志』は『三国志演義』で第36回に相当する、徐庶が劉備の元を去る場面から始まる。 程碰は徐…

12月3日は周瑜の命日

ツイッターで聞き思い出しました。 今日は、周瑜が亡くなった日なのです ( -ω-)人ざまぁ ちなみにこの12月3日の典拠について、現行の陳寿『三国志』や『三国志演義』には見られないため、その出典が一時期話題になっていたようです。 その様子はこちらの…

呉王の件【魏】

219年、曹操政権は孫権を南昌侯に封建しました。関さん倒したご褒美ですね。 そして221年秋、孫権は魏王朝より呉王に封建されます。 なんか当たり前のように考えていましたけど、改めて考え直すと、何故わざわざ呉に改封したのかちょっと不思議です。…

呉王の件【呉】

222年、孫権の王位は曹丕に剥奪されてしまい、以降の呉王は孫権の自称だったと思われます。 それでもその後も引き続き王国の体裁があっただろうことは、225年に顧雍が丞相に任じられていること、孫登が引き続き王太子であったことから分かります。 さ…

呉王の件【蜀漢】

(延熙)十五年,呉王孫權薨ず。 ―後主本紀列伝 前の記事で孫権の呉王は魏ないし漢のどちらに由来するものか、と書きましたが、どうやら蜀漢的には、孫権は漢王朝によって呉王に封建されていたようです。しかも即位もなかったことにされています(笑)*1 これは…

呉王の件【呉侯】

孫呉には、呉侯に封建される皇族がしばしばいました。 たぶん何かしら特別視されていたと思うんですけど、よく分かりません(´・ω・`) 後漢での漢中王劉備、西晋での晋王司馬叡の様なものでしょうか。 ・孫策 198年、烏程侯から改めて呉侯に封建されました。…

『続漢書』百官志、関内侯

關内侯、秦の賜爵十九等を承け關內侯と為す、土無く、寄食在所縣,民租多少、各々戸數を限と為す有り。 横浜の関内なんてのは、明治維新で新爵制が出来て後の関内侯を賜った人たちが多数住んだので、関内って言うらしいです( ´゚ω゚`)

『続漢書』百官志、列侯

列侯、食む所の縣を侯國と為す。 本注曰く、秦爵の二十等を承け、徹侯と為す。金印紫綬、以て功有りを賞す。功の大なる者は縣を食み、小なる者は郷亭を食み、其の食む所の吏民を臣とし得る。 後に武帝の諱を避け、列侯と為す。武帝元朔二年、令して諸王に推…

『続漢書』百官志、王国

皇子を王に封じ、其の郡を國と為し、毎に傅一人、相一人を置き、皆二千石なり。本注曰く、傅は善を以て王を導すを主り、禮すること師の如く、臣にあらざるなり。相は太守の如し。長史有り、郡丞の如し。 漢初諸王立ち、項羽の諸王を立つる所の制に因りて、地…

『後漢書』百官志、宋衛国

衛公、宋公。本注に曰く、建武二年、周の後の姫常を封じて周承休公と為す。五年、殷の後の孔安を封じて殷紹嘉公と為す。十三年、姫常を改め衛公と為し、孔安を宋公と為す。以為らく、漢の賓、三公の上に在り。 "衛相"って官職が出てくるんで、当たり前ですけ…

黄巾に負けた王様のその後

「三国与太噺」−黄巾に負けた王様たち この記事で紹介した安平王劉続は、黄巾の乱で捕虜となり、一度は国に戻れたのですが、その後誅殺されてしまいます。 その顛末を紹介しているのが以下の『後漢書』李固伝です。 (李燮は)霊帝の時に安平相を拝す。是に先…

青梅、茶を煮て英雄を論ず