2011-07-01から1ヶ月間の記事一覧
明治期にとっても沢山出版された『通俗三国志』群*1の中でも代表的なエディションである幸田露伴校訂の『通俗三国志』です。 東亜堂から明治44年に出版されており、「明治版『通俗三国志』」としては後発の部類ですね。上田望先生の分析によれば流行の第三…
(献帝)又問玄紱、「祖宗何人。」 先主、「本祖十七代孫、中山靖王之後。先君漢靈帝、因十常侍弄權、落於百姓之家。」*1 陳寿『三国志』では不明である中山王劉勝と劉備までの間の系譜ですが、こちら『三国志平話』ではその間に17世代あったとしています。 …
『吉川三国志』の数少ないオリジナルキャラクター、芙蓉姫。吉川流が光る序盤を象徴するようなヒロインです。 吉川オリジナルでありがなら、横光三国志や柴練三国志、三国志大戦など他の創作・媒体にも時々姿を見せるなど、三国志の和製オリキャラとしてはけ…
苦徹成珠の吉川さんも"三国志"だけは、リラックスに書かれたようである。楽しんで書いておられる風でもあった。馬上からバラリンズンと斬殺した人物を、後の場面で活躍させて、飛んだ失敗したよと、吉川さんが苦笑したようなお愛嬌もあった。*1 やはり先生も…
(*´ω`*)ドヤァ・・・ 昭和15年に大日本雄弁会講談社より出版された、吉川三国志の初版本! なかなか手に入らないと思われる初収本の、さらに初版です。国会図書館でも初収本は読めるんですけど、しかし何巻か欠落があり、また初版ではなく昭和17年の再版…
久保天随『新訳 演義三国志』は、それまで湖南文山訳『通俗三国志』(李卓吾本訳)が大勢を占めていた日本においてし、初めての毛宗崗本完訳として1912年に出版されました。またあの吉川英治が少年の頃に愛読したとされていることでも有名です。*1 この叙…
☆桑原武夫「『三国志』のために」 (「文芸」(1942年8月)、所収『桑原武夫全集3』(1968) ) ○三国志への親しみ 天野貞祐『学生に与ふる書』に、幼い頃愛読したと回顧 筆者の親戚にも親しんでいる者多し。庶民への浸透も大きい ・『通俗三国志』による流行 神…
徐母曰:「劉備何如人也?」 操曰:「沛郡小輩,妄稱皇叔,全無信義,所謂外君子而內小人者也。」(徐庶母が言う)「劉備とはどのような方におわしますか」 (曹操が言う)「沛郡のいやしい家の出で、『皇叔』とか言いたてておるが、実は信義を知らぬ、外見は君…
俺が許都行った時ヒキョウにも「どうやって劉備が皇族だって証拠だよ」って言ったがバカすぐる、お前は中山靖王勝つの後胤っていう名セリフを知らないのかよこの系図なら劉備が皇叔なのは確定的に明らか。宗正とかゆうジョブが読むと曹操は真っ赤にしてうつ…
村上知行著、『三国志物語』は昭和14年に中央公論社から全3巻で出版された、「三国志演義」の翻訳本です。ただ全文完訳ではなく、作者によれば「三国志演義」の文章はあまりに冗長であるため、不用の部分、興味の乏しい部分を省略して訳したものだという…
自分が普段『三国演義』の訳本・翻案本を読む時、それが「李卓吾批評本」依拠か「毛宗崗本」依拠か、を見分けるために基準としている16項目です。 明治〜昭和初期の三国志モノを読んでいますと、その本が、李卓吾本の邦訳にして元来人気第一だった『通俗三…
彼の嫁スープがなぜ高く評価されているかについては、渡邉先生と仙石先生の共著『三国志の女性たち』が詳しく、面白いのでぜひ読んでみてください。 また劉安は『三国演義』の架空の人物ですのでこの行為も宋明時代の価値観に基づいていると思われますが、た…
◆初出 「中外商業新報」(現・日本経済新聞)夕刊一面連載*1 昭和14年(1939)8月26日〜昭和18年(1943)9月5日*2 (連載予告が14年8月24日の朝刊夕刊両方に掲載) ◆所収*3 ・初収版*4 大日本雄弁会講談社、全14巻(昭和15年〜21年) ・六興八巻版…
昨日に引き続いています。 「三国与太噺」‐吉川三国志、新連載の予告記事 吉川英治『三国志』はそのアタマに、吉川先生による「序」を収録しています。これはそもそも昭和15年、最初の単行本化に際して書かれたものであり、以降『三国志』が再版される度に…
1939年8月26日より中外商業新報などで連載を始めた吉川英治『三国志』ですが、それに先だって24日の夕刊に新連載の予告記事が出されていました。 作者が、新聞社が、この新連載をどのように考えていたかアピールしようとしていたか端的に窺えて、な…