三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

魏の夫人位

 甄洛は三ヶ日までじゃなかったかって?
 スマン、ありゃあウソだった(゚ω゚)


 「てぃーえすのワードパッド」‐甄夫人2


 『三国志』本文では甄洛はしばしば「夫人」と呼ばれていましたが、てぃーえすさんは今朝の記事により、それが彼女の地位を表す称号ではなく単なる一般名詞ではないかという仮説が示されました。
 僕の昨日の記事も、甄洛が彼女にしては予想以上に高位の「夫人」位を持っていると仮定していたがために、とても回りくどい推測をしなくてはなりませんでした。なので僕もてぃーえすさんのお考えに全面的に賛成したく、ぜひ今後さらに仮説が補強されてくことを期待してます(゚∀゚)!


 そもそも曹魏における号としての「夫人」とは、『三国志』后妃伝に拠れば諸侯王の妾に与える最高位であると考えることができます。
 『漢書』『後漢書』を参照するに、「夫人」が皇帝の妻妾に用いられたことはないようです。『宋書』后妃伝が「夫人、魏武帝初めて魏国を建て制する所なり」と言っているように、諸侯王において用いられる称号であり、「王后」に次ぐ地位でありました。
 よって郭氏が、曹丕が魏王に即位すると「夫人」に、皇帝に即位すると「貴嬪」となったことは、夫曹丕の地位に合わせて彼女の地位もまた変化したことによります。「夫人」も「貴嬪」も正妻でこそありませんが、それぞれ国王の妾として最高位、皇帝の妾として最高位を意味します。郭氏が高い待遇を受けていたことが分かります。


 その「夫人」號を皇帝の妻妾に対し初めて用いたのは曹叡です。『三国志』后妃伝に「始めて夫人を複命し、其の位を淑妃の上に登す」とあるように、曹叡は従来あった「貴嬪」「淑妃」という皇帝の妻妾の序列の中に「夫人」を置きました。
 つまり、曹叡以前では「夫人」が皇帝の妻妾に対して用いられることはなかった、ということです。
 よって文帝紀黄初二年に「夫人甄氏卒」とある文章は、甄洛が文帝曹丕の妻妾として正式なる地位を持っていなかったことを意味するのではないでしょうか?
 ここから自分は、甄洛は生前に文帝から正式な地位を与えられてはおらず、引いては『三国志』が甄洛を「夫人」と形容することは単に彼女が妻妾であったことを意味する一般名詞であると考えます。