『演義』版本で見る黒歴史 【夏侯傑】
『三国演義』の各版本によって、長坂橋で張飛に大喝されて落馬する人物が「夏侯傑」と「夏侯覇」とで異なっているらしいけどそこんところどうなのか。
というネタを先日いただきまして、大学に行ったときに見て参りました。追記で示しているように十種ほどの版本で参照することができました。版本それぞれの系統や関係はリンク先記事をご覧ください。
結論から言ってしまうと、毛宗崗本のみ"夏侯傑"であり、その他ではすべて"夏侯覇"でした。
となると恐らくは毛宗崗が初めて夏侯傑に改めたのでしょうが、しかしそうだとすると何故毛宗崗は夏侯傑に改めたのでしょう?夏侯覇は後に蜀勢力として奮戦してますので、このような"かませ"は相応しくない、といったところでしょうか。
ではそもそも逆に毛宗崗以前では、何故そんな夏侯覇をこの役に起用してしまったのでしょう?このようなやられ役こそ、夏侯恩や夏侯徳など『演義』お得意のオリジナル夏侯氏にうってつけでは?以前『演義』孫韶が初登場時(第七回)と再登場時(第八十六回)とで若干人物設定が変わっているとのことを記事にしたことがありますが、この嘉靖本夏侯覇もそれと同様なのかもしれません。*1
ちなみに、『通俗三国志』と『吉川三国志』も李卓吾本に従って夏侯覇です。
※5/3追記
チェックした版本についてはこちらの記事の図表と同様です。
・并州刺史丁原 その2(2011/5/3)