三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

池田東籬亭『通俗絵本三国志』

 先日、うちのブログに「池田東籬亭 通俗三国志」のキーワードでいらっしゃった方がいらっしゃいました。
 東籬亭をググってしまうなんて相当の猛者勢とお見受け致しましたが、もしこの方が池田東籬亭と『通俗三国志』の関係について基本的な情報を探しておられたなら、自分が近頃調べて知った範囲でよろしければお答えしたいなと思いました次第です。
 これで疑問の答えとなっていれば幸いです。
 

池田東籬亭と『通俗絵本三国志』の関係をばっさりと言えば、その校訂者だったのが池田さんです。
 『通俗三国志』が1691年に登場したことにより、続けてたくさんの三国志モノが出版されましたが、それらはイラスト入りのものが多かったようです。ラノベじゃないですけど、いつの時代も挿絵の効果は変わりませんね。
 その、三国志挿絵の集大成と言えるものが『通俗絵本三国志』でした。イラスト担当はかの葛飾北斎の高弟、葛飾戴斗という人です*1。戴斗二世は非常に高い技法を駆使し、しかも従来の絵入り三国志たちとは比べ物にならない分量の挿絵を描いたことで、質と量ともにズバ抜けた作品として、大変な好評を博したそうです。*2


 そして、その『通俗絵本三国志』の文章校訂を担当したのが池田東籬亭です。湖南文山『通俗三国志』に葛飾戴斗の挿絵を加え、文章を池田東籬亭が校訂したものが『通俗絵本三国志』、ということになりますね。
 そして明治時代は大変多くの『通俗三国志』が出版され、それらのほとんどは挿絵:葛飾戴斗・校訂:池田東籬亭の『通俗絵本三国志』のことですから、池田さんの名前はそれに合わせて広く知られることになりました。それも元の文章を書いた文山以上に。「三国志を読んだよ」と言えば、「ああ、あの池田さんのやつね」、といった具合でしょうかね。それどころか池田東籬亭が『通俗三国志』の翻訳者とまで見られるようにさえなったそうです。
 ところが実際に池田東籬亭がやった校訂作業というものは、従来の文山訳が漢字カナ文だったものに対して、そのカタカナをひらがなに改めただけなんです。幸田露伴によれば字句の改めなどはほぼないそうです。池田は本当に一校訂者に過ぎず、『通俗三国志』の文章は90割、湖南文山の功績です。


 にも関わらず、池田の名前がここまで大きく出ることになったのは、ぼくの推測ですけれど、たぶん例の『新編水滸画伝』が影響しているんじゃないかなと思います。これは旧来あった『通俗忠義水滸伝』に対してまったくの新訳を謳っていましたので、なら『通俗絵本三国志』も池田さんの新訳なのかしら、と言った具合に誤解が広まってしまったのではないでしょうか?
 今では、その誤解が解消されるが余り「東籬亭…?誰ですそいつは」って具合にまでなっちゃいましたけど、、、
 とりあえず、書誌に「池田東籬亭校訂」と書いてあれば、それは湖南文山の文章を読んだと思っていただいて大丈夫だと思います。








 ちなみに余談ながら、時に『通俗三国志』の翻訳が"高井蘭山"と誤解されることがあります。実際に、「明治版『通俗三国志』」の中でも有力なエディションのひとつである帝国文庫版がそのように間違えています。これは、先の「池田東籬亭の新訳」という誤解を更に進めて、池田東籬亭と高井蘭山を取り違えてしまったものですね。蘭山と『通俗三国志』はまったく関係がありません。
 高井蘭山という人は、例の『新編水滸画伝』の校訂をやっていた人です。これに関して、注に挙げた論文で上田先生が推測するところに曰く、「池田も蘭山も、どちらも旧来の『通俗三国志or水滸伝』をカナ文から平仮名に改めるという似た作業をやったので、混同されてしまったか」とのことです。
 また自分が想像するところでは、この帝国文庫版は挿絵も葛飾北斎と誤っています。つまり、「文:高井蘭山・絵:葛飾北斎」、と『新編水滸画伝』とまったく同作者によるものと認識されているんですね。『通俗絵本三国志』と『新編水滸画伝』はもとより中国白話小説の翻訳として双璧であり、しかもどちらもイラスト担当が葛飾北斎である(と誤解されていた)ので、非常に紛らわしいんです。なので、文章担当の方もまた混同されてしまったのでしょう。*3

*1:かつては『通俗絵本三国志』の挿絵は葛飾北斎だと誤解されていた時期があったそうです。これは、北斎がもう一方の通俗モノ人気作『新編水滸画伝』の挿絵を担当していたこと、北斎と戴斗の技法が似通っていたこと、なにより葛飾北斎がかつて"戴斗"という号を使っていたことがあったこと(つまり北斎が弟子に戴斗の号を譲った)によります。なので『通俗絵本三国志』の人を指して葛飾戴斗二世と呼ぶことが多いです

*2:『通俗三国志』から『絵本通俗三国志』までの過程、特にイラスト面から注目した、上田望先生の「日本における『三国演義』の受容〈前篇」という論文がネットからも閲覧でき、詳細で分かりやすいので是非読んでみてください

*3:あと先ほどから『新編水滸画伝』を「新訳」と言ったり「カナから平仮名への校訂」と言ったりと矛盾しているようですが、これはつまり『新編水滸画伝』が「水滸伝の新訳を謳いながら、実は旧来の『通俗忠義水滸伝』のカナ文を高井蘭山が平仮名文に改めただけ」という詐欺をやらかしているからです。『新編水滸画伝』の複雑な出版経緯については高島俊男先生の『水滸伝と日本人』が分かりやすいですのでぜひ