『李毛異同(6) ‐袁紹の系譜
何進が之を視れば、乃ち司徒袁逢の子、袁隗の姪。名を紹、字は本初なり。(「毛本」第二回)
「毛宗崗本」が「袁隗の甥」とするところを、「李卓吾本」では「袁安の孫」としています。
「袁安の孫」とした方がその輝かしい家系が一目に分かりますが、一方でこの後に袁隗が袁紹との血縁故に害される事を考えれば「袁隗の甥」とするのも悪くないです。まあ些細な違いですね。
ただこういう些細な違いこそ、『三国志演義』のエディションについて考えるときに役に立ったりするんです。
たとえば『柴練三国志』はここを「袁安の孫」と作ります。「李卓吾本」系統を参照したってことですね。
しかし『柴練三国志』の連載当時に、「李卓吾本」はほとんど流通していなかった筈です。一体、柴練さんはどこからこの知識を得ていたのでしょう・・・?