三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

張華『博物志』の佚文「沃沮の女國」

 昨日の記事にて、現行『博物志』が佚文を集めた輯本であること、そして今問題としている「沃沮の女國」の段落も佚文であろうということを書きました。
 そこで『三国志』との比較のため、『博物志』原型の文章を探さないとなーって思っていましたが、果たしてそれらしいものが『太平廣記』四百八十巻蛮夷にありました。


 毌邱儉遣王追郄麗王官、盡沃沮東東界。
 問其耆老「海東有人不?」耆老言國人嘗乘船捕魚、遭風見吹數十日、東得一島、上有人、言語不相曉、其俗嘗以七月取童女沈海。又言有一國亦在海中、純女無男。
 又說得一布衣、從海中浮出、其身如中人、其衣兩袖長二尺。又得一破船、隨浪出在海岸邊、有一人項中復有面、生之、與語不相通、不食而死。其皆在沃沮東大海中。

 毌丘儉討句麗、……王別遣追討宮,盡其東界。
 問其耆老「海東有人不?」耆老言國人嘗乘船捕魚、遭風見吹數十日、東得一島、上有人、言語不相曉、其俗常以七月取童女沈海。又言有一國亦在海中、純女無男。
 又說得一布衣、從海中浮出、其身如中人衣、其兩袖長三丈。又得一破船、隨波出在海岸邊、有一人項中復有面、生之、與語不相通、不食而死。其皆在沃沮東大海中。


 上が『博物志』佚文、下が『三国志東夷伝東沃沮です。
 昨日の推察通り、おそらくこれが『博物志』原典により近しい形なのでしょう。




 ところで、この「沃沮の女國」のエピソードは結構いろんな漢籍に引かれてるみたいですね。『通典』や『太平御覧』や『通志』や……。
 ちなみに自分が見た限りでは、みな『三国志』の方から引用しており、『博物志』から引いていたのはこの『太平廣記』だけでした。