三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

高陵亭族 【曹純】

曹純、あざなを子和。
曹仁の同母弟として有名ですねー。
十代で父の家を継いだが、家をよく保ったために称賛された。十八歳で黄門侍郎、二十歳で曹操に従い議郎参司空軍事となった。精鋭虎豹騎を率い、河北戦で活躍。袁譚を討ち、搨頓を生け捕った。荊州攻めで劉備の娘を獲えた。しかし建安十五年に死去。曹操は大いに悔やみ、虎豹騎隊長の後任を選ぶことができなかった。
このように曹魏四天王と比べても遜色のない経歴であり、常に最前線で指揮を執っていた武将のように思えます。
しかし知名度はそこそこながら、いかんせん地味なイメージが、、、
曹純はもっと惚れられるべき!

さて今回疑問に思いましたのは、曹純を含めた虎豹騎歴代隊長についてです。
ちくま訳は曹純伝注引『魏書』を以下のように訳しています。

【原文】
太祖難其帥.純以選為督

【ちくま訳】
太祖は〔曹休・曹真のあと〕誰を指揮官にするか頭を悩ました。曹純が選ばれて隊長となり、

ちくま訳の言う、曹純の以前は曹休・曹真が隊長だったというこの注釈。これが昔から不明でして、それこそ三国志知り始めくらいのときからwikiで読んでは首をひねっていたのですが、曹休も曹真も曹純より一コ下の世代じゃないですか。しかも曹純は建安十五年死去。なのに休真両名が精鋭を率いていたのは曹純より前?ほんとでしょうか?

太祖謂左右曰:「此吾家千里駒也.」使與文帝同止,見待如子.常從征伐,使領虎豹騎宿.劉備遣將吳蘭屯下辯,太祖遣曹洪征之,以休為騎都尉,參洪軍事.(曹休伝)

太祖壯其鷙勇,使將虎豹騎.討靈丘賊,拔之,封靈壽亭侯.以偏將軍將兵擊劉備別將於下辯,破之,拜中堅將軍.(曹真伝)

初以議郎參司空軍事,督虎豹騎從圍南皮.袁譚出戰,士卒多死.太祖欲緩之,純曰:「今千里蹈敵,進不能克,退必喪威;且縣師深入,難以持久.彼勝而驕,我敗而懼,以懼敵驕,必可克也.」太祖善其言,遂急攻之,譚敗.純麾下騎斬譚首.(曹純伝)

曹休伝における虎豹騎の記述は簡素でして、率いた、としかありません。その前後文は「文帝と共に育てられた」と「劉備との漢中戦」との内容。あまり建安中期を思わせる記述ではありません。
曹真伝も似ったりで、これまた「文帝と共に(ry」の後に虎豹騎以下略、そして霊丘の賊討伐が入ります。その後が漢中戦。*1
そして曹純伝では南皮の戦いあたりから虎豹騎を率いていた模様。
三者による虎豹騎の記述はこれだけでして、同時に『三国志』で虎豹騎らしき記述もこれ以上ありません。曹操が関中の馬超との戦いで率いた「虎騎」がそれに当たるとの話も聞きますけど。*2それにしてもこれらだけではちくま訳の解釈通りのイメージをすることは難しく、むしろ曹真・曹休が仲良く虎豹騎連れて漢中へ行くビジョンしか見えません。
『集解』も特別触れておらず「純、真、休皆将虎豹騎、以宿衛精兵。非親子弟不可也。曹純死而自将之。以無子弟可任者、非無曹純其人也」とあるのみ。
という訳で、ちくまがその根拠にした記述はわかりませんでした。
ただ単に、休真が率いた記述がある、そして曹純死後は誰も候補者がいない、ならば休真はその前だろう、って推察に拠っているような気もしますが・・・。なにせちくまさん。
ちょうどこの前に見てツイートもしましたが、臧洪伝の「張超は、臧洪を大司馬〔燕王の〕劉虞のもとに派遣して」ですね。劉虞が燕王?なんじゃら。あと爵位を調べているとですね、公と侯の間違いが結構あるし。
ですがしかしそれは置いといて、今回は『三国志』でしか調べておりませんのでもしかしたら別史料にその根拠があるのかもしれません。ご存知の方がいらっしゃいましたらぜひとも教えてください。



さて曹純はそんくらいにいたしまして、本題です。
もう半月くらい前のことですが、とうとう告知が来ましたね!
http://www.daito.ac.jp/sangoku/taikai.html

日時:2010年9月11日(土)
会場:二松学舎大学 九段キャンパス3号館 3021教室

プログラム
○開会の辞 (10:00〜10:10)

○研究報告
10:10〜11:00
 松尾亜季子 (三国志学会会員)
 「蜀漢の南中政策と「西南シルクロード」」

11:10 〜 12:00
 藤巻尚子(早稲田大学文学学術院助教
 「結びつけられる三国志太平記―近世初期の学問・思想の一齣として」

○昼休み (12:00〜13:00)

13:00 〜 13:50
 仙石知子 (駿河台大学非常勤講師)
 「毛宗崗本『三国志演義』における養子の表現」

14:00 〜 14:50
 稀代麻也子 (筑波大学人文社会学系准教授)
 「劉腊―「文学」の「感」」

○コーヒーブレイク(15:00 〜 15:30)

○講演(15:30 〜 17:00)
 興膳宏 (京都大学名誉教授・東方学会理事長)
 「人物評価における「清」字」

○懇親会(17:30〜19:30)
 於二松学舎大学1号館13階ラウンジ(会費2,000円)


三国志学会第五回大会!
うちにもお手紙が来ていましたよ。
予定通り会場は二松ですね。これまで関東で行われた大会は渡邉先生のホーム校の大東文化さんでしたが、今回はウチの二松学舎大学立派な講堂もあることですし母校開催ということで大変嬉しいのですが、どうしてでしょう?と、そう思っていましたら、どうやらこういう理由があるようです。なるほど。
http://ancientchina.blog74.fc2.com/blog-entry-357.html

学会というのは、人文歴史の場合〈理系とか他の分野は知りませんが〉、幹事役の先生がいる大学が持ち回りでやるのが通例なのです

しかし楽しみですねぇ。ぼくは去年の公開講演会(これも二松開催)には行きましたけど、大会は初めてなんすよ。
ブログラムを眺めた限りですが、楽しみなのはなんといっても「蜀漢の南中政策と「西南シルクロード」」ですね!この松尾亜季子さんという方、ぼくは存じ上げないのですが、肩書きからしますと一般参加の部の方でしょうか?去年の大会で清岡美津夫さんがやっておられたあの枠。今年もあったんですか。
それはともかくとして「西南シルクロード。っということはそれはつまり、蜀地方と西域諸国との交易も話してくださいるということでしょうか!?たとえば、西域で蜀の特産品を見つけてこれどこから仕入れんかと訊いたら天竺の商人からだったってアレ。『漢書』でしたっけ?ぼくは中国仏教を勉強しているので西域諸国についても同時に勉強していますが、蜀と西域との話はなかなか聞く機会がありませんからね。もしその辺のお話があるとしたらそりゃもうどストライクですよ!テンションあがってきた(AA略
いずれにしましても、ぼくのようなただの国文学生では普段お話を聞くことのできないような先生方ばかりですから、存分に勉強してきたいと思います!
心して1ヶ月を待て!

*1:この霊丘の戦いについては『三国志』でここ以外記述がないので詳細が分かりません。『漢書』地理志によれば霊丘は代郡。代郡では烏丸がたびたび叛いていますが、曹真伝に該当するようなものと言うと…よくわかりません、、

*2:例えば今買った石井仁先生の『曹操』とか!