三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

『後漢書』荀悦伝の偏向

絓字仲豫、儉之子也。儉早卒。絓年十二、能說春秋。家貧無書、毎之人輭、所見篇牘、一覽多能誦記。性沈靜、美姿容、尤好著述。靈帝時閹官用權、士多退身窮處、絓乃託疾隱居、時人莫之識、雖從弟紣特稱敬焉。初辟鎮東將軍曹操府、遷黄門侍郎。獻帝頗好文學、絓與紣及少府孔融侍講禁中、旦夕談論。累遷祕書監、侍中。
時政移曹氏、天子恭己而已。絓志在獻替、而謀無所用、乃作申鑒五篇。其所論辯、通見政體、既成而奏之。其大略曰……。帝覽而善之。
帝好典籍、常以班固漢書文繁難省、乃令絓依左氏傳體以為漢紀三十篇、詔尚書給筆札。辭約事詳、論辨多美。其序之曰……。又著崇紱、正論及諸論數十篇。年六十二、建安十四年卒。
  ―『後漢書』列伝五十二 荀淑伝附荀悦伝


 荀悦といえば、あの荀紣の従兄弟にして、『漢紀』や『申鑒』を編纂したことで有名な人です。
 その『後漢書』の列伝によれば、荀悦は尊皇の志を持っていたが、当時は曹操が専横していたので志を果たせず、そのために『申鑒』を編纂した、とされています。
 しかし僕は常々これが気に入りませんでした。話が出来すぎているなと、たぶん范曄が盛っているなと、感じていました。その根拠は最期に触れます。

 まず『後漢書』荀悦伝の内容は、およそ以下の通りになります。
(1)父が早世したため家が貧しく、幼い頃に苦学をした
(2)性格は沈静で、姿が美しく、著述を得意とした
(3)霊帝の頃の宦官専横を嫌って隠遁した
(4)曹操に辟召され、のち黄門侍郎、秘書監、侍中を歴任した
(5)献帝に側仕えし、荀紣孔融と共に日夜談論した
(6)荀悦は献帝を補佐するとの志があったが、曹操専横のため果たせず、代わりに『申鑒』を編纂した。献帝はこれを読んで評価した
(7)献帝は荀悦に詔して、『漢紀』を編纂させた
(8)そのほか『崇徳』や『正論』など著作がある。建安十四年に年六十二で死去した

 これを謝承『後漢書』、司馬彪『續漢書』、張璠『後漢紀』、袁宏『後漢紀』という先行史料と比較したところ、(1)(2)(4)(5)(7)の記述は先行史料にも見られました*1。つまり、(3)と(6)と(8)については、范曄が新たに増した表現である可能性がある。むろん先行史料のすべてが現存するわけではありませんから言いきれませんが、しかしよりによって(3)と(6)が先行史料に見られないというのは、ちょっと出来すぎた話です。


 もう少し具体的に見ましょう。袁宏『後漢紀』には、荀悦の伝記が以下のようにあります。

八月、侍中荀絓撰政治得失、名曰申監。 ……上覽而善焉。
絓字仲豫、潁川人也。少有才理、兼綜儒史。是時曹公專政、天子端拱而已。上既好文章、頗有才意、以漢書為繁、使絓刪取其要、為漢紀三十篇。
  ―『後漢紀』巻二十九 孝獻皇帝紀 建安十年

 原文を比較すれば范曄がこの段落を参照したことが明らかですが、同時に何を取り何を増したかも明らかになります。
 すなわち、袁宏は「曹公專政、天子端拱而已」、范曄も「時政移曹氏、天子恭己而已」と書いていますが、しかし袁宏はこれが『申鑒』の執筆動機だとは言っていない。さらに言えば「絓志在獻替、而謀無所用」という表現も范曄が増したものです。これが重要です。
 そもそも物事の因果関係が大きく違っています。袁宏が言う「曹公專政」はむしろ献帝が『漢紀』編纂を命じた動機です。それが范曄では、荀悦が『申鑒』を執筆する動機になっている。
 もっともっと言えば、『後漢書』の記述の順序では、
  荀悦は"志在獻替"のため『申鑒』を編纂した
  ⇒献帝はそれを評価した
  ⇒献帝は荀悦に『漢紀』編纂を命じた
という因果関係があるかのように感じられますが、しかし『漢紀』の編纂は建安三年、『申鑒』の編纂は建安十年*2。逆なんですね。范曄の巧妙な筆法だと、僕は見ます。


 以上のように『後漢書』荀悦伝は、先行史料と比較して、かなり荀悦を献帝と近づけているように思われます。言いかえれば荀悦を「漢の忠臣」に描こうととしている。
 こないだも取り上げましたが、范曄は荀紣を「漢の忠臣」に描こうといろいろいじくってる人です。そんな范曄が「荀悦は献帝に尽くそうとしたが…」と言うのだから、違和感を覚えないはずがない。冒頭で言った「話が出来すぎている」と感じた理由はこのことです。果たして史料比較の結果、(3)(6)のような「漢の忠臣」要素が浮き彫りになったわけです。
 そしてこれも繰り返しになってしまいますけど、裴松之や范曄と同じ時代に『荀氏家伝』というやつが編纂されています。荀伯子という人の撰です。黒幕はこいつだろうと、僕は想像しているところです。

*1:「荀絓字仲豫、家貧無書、每間行見篇牘、一覽便能誦記」(『北堂書鈔』卷九十八引、謝承『後漢書』)
「荀悦、字仲豫。遷黄門侍郎。獻帝頗好文學、悦與從弟紣孔融、並侍講禁中」(『太平御覽』巻二百二十一 職官部十九引、司馬彪『續漢書』 )
「荀悦、十二能讀春秋。貧無書、每至市間、閱篇牘一見、多能誦記」(『太平御覽』卷六百十四 學部八引、司馬彪『續漢書』)
「絓清虛沈靜、善於著述。建安初、為秘書監侍中、被詔刪漢書作漢紀三十篇、因事以明臧否、致有典要、其書大行于世」(『三国志』巻十 荀紣伝 裴注引、張璠『後漢紀』)

*2:『漢紀』序に「建安元年、上巡省、幸許昌。……其三年詔給事中祕書監荀絓鈔撰漢書」とあり、『漢紀』が建安三年から編纂が始まったことが分かります。また前述の通り『後漢紀』が『申鑒』の編纂は建安十年としています