平成24年&25年のまとめ
矢のようにけたたましく過ぎていった二年間でした。
新潮社より、吉川英治『三国志』が新装版で好評刊行中
同じく新潮社文庫より、『吉川三国志』を踏まえた渡邉義浩『三国志ナビ』が発売。第二章 「三国志」人物伝の作成を担当。『吉川三国志』に準拠した人物事典
また『三国志研究』八号に、「吉川英治『三国志』の原書とその文学性」を発表
ω・`)チラ
・『三国志平話』登場人物の一覧(2013/1/3)
去年の正月三が日で書き切った『三国志平話』人物事典。
たぶんこれが本邦初だと思います。
(ノシ・ω・)ノシ
・甄洛の立場は?(2012/1/1)
・甄洛の失寵(2012/1/2)
・甄夫人(2012/1/3)
・魏の夫人位(2012/1/4)
てぃーえすさんとコラボする形となったシリーズ。
晩年に曹丕の寵愛を失って正妻の地位を郭氏に奪われた、との甄皇后のイメージに疑問を感じて書きました。甄氏の称号を見る限りでは、彼女が生前に正妻の地位にあったことはないはずです。また以前僕らが書いたように、曹叡も曹丕生前に嫡子であったことはありませんでした。
(、・ω・)、
・張華『博物誌』の女国(2012/1/7)
・張華『博物志』と陳寿『三国志』における文章合致(2012/1/17)
・張華『博物志』の佚文「沃沮の女國」(2012/1/18)
張華『博物志』と陳寿『三国志』において、「東夷の女国」に関する文章が完全に一致している、ということを発見したシリーズ。
陳寿が師匠筋の張華の著作を参照していたこと、また現行の『博物志』輯本がもともとひとつだった文章をバラバラにするくらい原型と変わっていること、を指摘しました。
張華と陳寿の関係は、実は魏志倭人伝の邪馬台国論争でも注目されてることでもあります。その方面にもひそかに貢献できたっぽくて、八丈島勢としてはとっても嬉しいです。
ヽ(・ω・)/
・諸葛質?諸葛懐?(2012/1/26)
・怪しげな孔明の孫 【諸葛質】(2012/1/27)
・怪しげな孔明の三男 【諸葛懐】(2012/1/28)
諸葛瞻には諸葛質という息子がいる。諸葛亮の三男は諸葛懐である。
諸葛亮の娘の諸葛果は神仙になった。諸葛望は諸葛均の息子だ。
とかいうデマをウィキペディアで見つけ、そいつを明かしてやろうとしたシリーズ。
しかし結論として、たしかに清代の張澍が編纂した『諸葛忠武侯文集』にそういう逸文がありました。ウィキの書き方もだいぶ問題がありますし、どれも後世の創作であるのは明らかなのですけど、しかし「清代にそういう逸文があった」ことは事実です。おもしろいですね。
しかし最近のウィキは、「民間伝承では」と称して出所不明の俗説を好き勝手書いていることが少なくないです。ウィキも出典明記に厳しくなってきましたから、あたかもそれに対する免罪符として「民間伝承では」を使ってるかのよう。しかし民間伝承は、出所確認の困難さのため、むしろ文献資料以上に繊細な配慮が必要であるはずです。少なくとも、何時に何処で誰が誰から採録した伝承を如何に執筆者が知ったのか、という明記は不可欠なのです。
(#・A・)
・後漢の名族、三公輩出ランキング(2012/5/19)
袁紹の「四世三公」って実際どのくらいすごいのか。
ということが気になって、後漢において複数の三公を輩出した家系をリストアップしました。
したら三人以上輩出の家柄ですら五家のみで、その中でも袁氏は最高の断トツで一番でした。
袁紹ってすごいんですね。
( ゚ω゚)
・『三国志演義』毛宗崗本における龐徳評(2012/10/6)
・『三国志演義』李卓吾本における龐徳評(2012/10/17)
・『三国志演義』龐徳の兄嫁殺し(2012/10/17)
・毛宗崗本における華佗の最期(2013/9/23)
現在で一般的に読まれている毛宗崗本『演義』は、時としてかなり異色な解釈をしてる...というシリーズ。
龐徳は関羽に背いた不義の将である、華佗は関羽の義に応じて曹操暗殺を謀った。どちらも『演義』の原義からは逸脱した、毛宗崗の恣意的な文章操作と解釈であると思います。
(;・ω・)
・丈八蛇矛の分かればな(2012/10/7)
・和製蛇矛の曲がりばな その1(2012/12/27)
・和製蛇矛の曲がりばな その2(2013/1/12)
『演義』張飛の「蛇矛」は、もとは蛇のようにうねった刃ではなかった、との上原究一先生の論文に驚いて、じゃあ日本の張飛画ではどう描かれているのだろうと調べたシリーズ。
結果、『横光三国志』の途中からいわゆる「蛇矛」が定着し始めることがわかりました。
( ゚д゚)ヘー
・范曄『後漢書』における、三君八俊八顧八及八廚の一覧(2012/5/8)
・范曄『後漢書』における「趙典」(2012/5/9
・その他の後漢史料における「趙典」(2012/5/10)
・『後漢書』は梁冀派閥がだいきらい その1(2012/5/20)
・范曄『後漢書』と「党錮伝」(2013/5/18)
・『後漢書』荀悦伝の偏向(2013/12/20)
思えば学部の頃からずっと、しつこく「趙典」について書いてきました。
それは范曄の『後漢書』党錮伝に、気に食わない箇所があるからです。「党錮伝」はのちの貴族制を考える上で大事な箇所なのですが、それの史料批判が「趙典」を使えば出来るのではと考えてきました。当代随一の清流派でありながら、「党錮伝」から唯一除外された「趙典」。
そこから興味が広がって、最近は『後漢書』全体の持つ偏向性について関心があります。
(´・ω・`)