諸葛菜と孔明菜
先日のBSプレミアム「ザ・プロファイラー」という番組にて諸葛亮が特集されていましたが、ご覧になられたでしょうか?
監修・解説はおなじみ渡邉義浩先生でしたが、個人的にはVTRで渡辺精一先生が出演されていたことにびっくりしました。二松でお世話になっていたので...
さてその番組にて、諸葛亮ゆかりのものとして「孔明菜」が紹介されていました。冒頭で岡田くん黒田官兵衛が食べてたやつです。
あれはけっこう由緒正しいものでして、自分が以前に調べた限りだと、唐代の韋絢『劉賓客嘉話録』にその典拠があります。吉川英治がをいたく気に入って『吉川三国志』で紹介していたため、日本でもわりと知られている伝承です。
公曰、「諸葛所止、令兵士獨種蔓菁者何」。絢曰、「莫不是取其纔出甲者生啖、一也。葉舒可煮食、二也。所居隨以滋長、三也。棄去不惜、四也。回則易尋而採之、五也。冬有根可劚食、六也。比諸蔬屬、其利不亦博乎」。曰、「信然」。一蜀之人、今呼蔓菁為諸葛菜。江陵亦然。
劉禹錫が、「諸葛亮は駐屯すると、兵士に"蔓菁"(カブ)を植えさせたというのは、どういうことか」と問うた。私が答えるには、「そのかいわれは生でも食べられまして、これが(利点の)その1です。生長した葉は煮て食べることができること、その2です。どんな場所でも生長することが、その3。棄てても惜しくないことが、その4。棄てればまたすぐに収獲できることは、その5。冬でもその根を削って食べることができ、その6です。いろんな野菜と比べても、その利点はたくさんあります」と。公は、「その通りだ」と言った。蜀の人は、この蔓菁を「諸葛菜」と呼んでいる。江陵でも同様である。
諸葛亮が兵士のために植えさせた蔓青が、今なお「諸葛菜」と呼ばれ親しまれている、という伝承です。
そしてそれにあやかった食品がいまの中国でも販売されているようでして、それが番組中で紹介されていた「孔明菜」です。その商品説明によれば、
東漢末年、孔明初出茅廬、時軍中鮮菜難以携帯、将士飲食無味、士気低落。孔明察襄陽大地、盛産大頭菜、于是計上心頭、発明腌制之法、將腌制大頭菜作為軍中佐餐。
孔明所腌大頭菜、醤香濃郁、爽口生津、開胃漬腸、広受将士喜愛。自此、蜀軍士気大振、焼赤壁、取荊州、奪漢中、勢成鼎足。
后居蜀中、特産豊饒、孔明毎餐仍以腌制大頭菜相佐。玄徳不解、孔明曰、「当年励志、多頼此物、今三分雖成、天下未定、豈敢相忘」。
后人緬懐孔明之忠義精神、将其腌制菜、尊称孔明菜。与孔明灯、木牛、流馬合称爲孔明四大伝奇発明。後漢の末期、孔明が劉備軍に加わったとき、軍中には新鮮な葉物がなかったので、兵士の食事は味気なく、士気が上がらなかった。孔明は襄陽をまわって、「大頭菜(コールラビ)」がたくさん採れることを知り、調理方法を発明して、大頭菜の漬物を軍中のおかずとした。
孔明の漬物は、香りがよく、口触りも爽やかで、食欲も増すので、兵士たちに広く好まれた。蜀軍の士気は上がり、赤壁の戦いで勝利し、荊州、漢中を得て、三国鼎立の形勢になった。
のちに蜀へ移ると、蜀は特産が豊かだったが、孔明はいつも大頭菜の漬物をおかずにしていた。玄徳が不思議に思ったところ、孔明は、「今の境遇は、これのおかげでした。しかしなお天下が定まりませんので、昔の志を忘れないようにしているのです」と答えた。
のちの人は孔明の忠義をしのんで、この漬物を、「孔明菜」と呼んだ。「孔明灯」、「木牛」、「流馬」と合わせて、孔明の四大伝奇発明とされている。
エピソードが微妙に違ってますよね。
伝承では、諸葛亮の便利なカブのことを「諸葛菜」としてました。
一方この商品説明によれば、諸葛亮が発明した大頭菜の漬物を「孔明菜」と呼んでいるわけです。セールストーク用にアレンジしたんでしょう。「諸葛菜」と「孔明菜」と呼び方が違う理由も、孔明のほうが名前の通りがいいからだと思います。
僕もこないだ実際に食べてみましたけど、「醤香濃郁、爽口生津、開胃漬腸」って売り文句もほんとで、辛味が効いててすごくおいしかったです。食べ方として、そのままでも、ご飯のおかずにしても、麺類や饅頭の具にしたり、炒め物の味付けにも、って書いてありましたし、なんにでも使えそうです。
ほんとに韋絢の言う通りですね。