三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

シーボルトが見た関羽?

 関羽を求めてネットをうろついていたら、こんな画像を見つけました。
 http://www.lib.pref.fukuoka.jp/hp/gallery/nippon/kg/n2-305k.html
 
 
 

*1

 まごうことなき関羽ですね…



 これはなんなのか。
 さっきのサイトのトップページがこちらなんですけど、
 http://www.lib.pref.fukuoka.jp/hp/gallery/nippon/nippon-top.html
 どうやらあれは、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト著『日本』の図版のひとつらしいです。
 あの、シーボルト事件で有名なドイツ人医師、シーボルトですって(゚д゚ )アラ!
 ってことはこれはかのシーボルトが見た関帝像というわけですか。

 じゃあ、それはどこの関帝像なんでしょう。
 サイトによるとこの図は「崇福寺関帝堂の内部」だそうで、また図像下部にあるドイツ語?の解説文にも(ドイツ語全然知らないですけど)、"Tempel" "Kwantei" "Sofuku"らしき単語が見えます。
 崇福寺とは長崎にある唐寺であり、江戸時代初期に建立され、現在でも関帝を祀っていることでファンの間では有名です。哲舟さんの全国関帝廟ガイドでも紹介されてます。
 じゃあシーボルトが見たのは、これ?
 ただ気になることがあります。
 この哲さんの写真を見る限り、どうも現在の崇福寺関帝像とシーボルト関帝図が同じものに見えないんです。たとえば周倉のポーズも全然違うじゃないですか。
 じゃあ別の関帝と間違えたかなと思い、同じく長崎の興福寺の関帝像とも比べたのですけど、やっぱりちょっと違うような。さっきより近いけど、手足の位置が若干違う気がするんです。
 となると、もしかしたら福済寺か聖福寺関帝像...?



【9/26追記】
 あのあと、この図版の元絵らしいものをネットで見つけました。作者は川原慶賀という、シーボルトと共に仕事をしていた日本人画家だそうです。
 http://www.nmhc.jp/keiga01/kawaharasite/target/kgdetail.php?id=1089&cfcid=147&search_div=kglist
 こちらは着色がされ、細部もより詳しいのです。
 で、改めて比較をしてみますと、言うほど現崇福寺関帝像と違うわけでもなさそうですね。
 昨日の僕は周倉像が違いすぎると文句をつけましたけど、関帝像同士で比べてみると、だいぶ似ているようです。手はお腹の前で組み、左足は手前にやや曲げ、右足を前に出す、という格好が共通しています。
 ただ、崇福寺関帝像は甲冑をまとっているようにも見えるので、そこが違う点かもしれません。それに顔の輪郭が少し、角ばっているのも。そして周倉像の違いというのも、やはり気になりますねえ。

*1:末木文美士ら編『シーボルト『日本』図録』巻三(雄松堂書店、1979)より