三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

司馬順の抗議

順字子思,初封習陽亭侯。及武帝受禪,順歎曰:「事乖唐虞,而假為禪名!」遂悲泣。由是廢黜,徙武威姑臧縣。雖受罪流放,守意不移而卒。*1



 司馬順は司馬八達の七番目、司馬通の次男にあたります。司馬昭の従弟、司馬炎の族父(従兄弟違い)ですね。司馬炎による禅譲を非難してしまったため辺境に流されてしまった悲劇の皇族です。
 同じく革命をよく思わなかったとされる皇族としては司馬孚が有名ですが、彼の場合は長老の地位に頼った偽善だという意見も耳にします。
 しかし司馬順とて、家系図で見るとずいぶん末端の皇族のように思えますが、一応は魏晋革命によって諸侯王の地位を約束される程度のポジションではあります。魏で亭侯の爵位を貰うほどですからね。もちろん一族筆頭の司馬孚とは比べるまでもありませんが、少なくともこの時点では年齢的な意味でも中堅的皇族であったと思います。
 その司馬順がこれほどの処分を受けるということは、司馬孚のパフォーマンスにしても紙一重のものだったのかもしれません。


 もしかしたら革命を危ぶむ、時期尚早などとする声は皇族内にも少なくなかったのかもしれませんね。それら慎重派への示しのため、それなりの地位があり、かと言って司馬孚ほどのド権威ではない、司馬順あたりがちょうどよかったのかも。

*1:『晋書』任城景王陵伝