『通俗続三国志』、第一巻のストーリーについて
読んでいただくと分かる通り、第一巻はかなり時系列が前後しています。
・司馬炎が統一を祝って宴する
→王渾・王濬の軍が孫呉を下す
→旧呉の遺臣と晋軍が戦う
→蜀漢の滅亡と遺臣たちの亡命
までが第一巻の大まかな流れになりますが、王渾王濬の件、蜀漢の遺臣たちの亡命は明らかに時系列が戻っています。こういった時系列を巧みに組み替える手法は、『三国志演義』の頃にはあまり見られなかった技法です。と言いますか、原典『三国志後伝』の時にもこうはなっていませんでした。
『三国志後伝』と『通俗続三国志』でこの部分を比較しますとこんな感じなのです。ちゃんと時系列通りの『後伝』に対して『続三国志』はかなり順序を入れ替えた上で翻訳していました。
『三国志後伝』 | 『通俗続三国志』 | 続三国志の内容 |
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第1回「後主降英雄避乱」 第2回「二賢合計誅訒艾」 第3回「晋武帝興兵伐呉」 第4回「王渾王濬大争功」 第5回「郴嶺呉将敗晋兵」 |
・王渾と王濬が大いに功を争う ・郴嶺に呉将が商議す ・郴嶺に呉将が晋兵を敗る ・晋が呉主の書を促し湘東を狥う ・蜀雄が乱を避けて興業を計る ・張賓と宣于らが蜀の乱を避く ・劉霊が一棟梁を救う |
『後伝』4、3回相当 『後伝』5回相当 『後伝』5回相当 『後伝』5回相当 『後伝』1回相当 『後伝』2回相当 『後伝』1回相当 |
何故『通俗続三国志』はこの様な改変をしたのでしょう。その理由は分かりませんけど、ただ僕としては、こっちの方が断然おもしろいって思いました。
この第一巻はいわばプロローグにあたり、いわゆる「西晋時代」は次の二巻から始まります。でもって、一巻で語られている時代は『三国志演義』で既に第116回から120回にてやっていることでもあります。『続三国志』読者は当然に『演義』も読んでるわけですから、その読者に対してもう一度蜀の滅亡から順に語っても、正直面白味は落ちるかと思うんです。
そこで『続三国志』の出だしは、司馬炎が天下統一を祝う場面です。『通俗三国志』が「三国晋帝に帰して司馬炎一統の天下となり、四海初て太平を楽しむことこそ目出度けれ」で終わっているのですから、それに続く開幕と言えます。
その席にて、王渾と王濬の争いという征呉での苦労話が回想が語られます。そして時間は再び現在へと戻り、旧呉残党との戦いが行われ、それも無事に終わってめでたしめでたし、でひと段落です。ここまでは「歴史通り」であり、言わば『演義』の後日談になります。
ではそれで天下泰平かと思えば、いやいやそうは問屋がおろさない、実は遡ること蜀漢滅亡のとき、実は密かに成都を脱出した新世代の姿があった―。と言ってようやく劉據、諸葛宣于、張賓らのお披露目となったところでプロローグが終わる。そうしてそのままの流れで第二巻、いよいよ西晋編がスタートする訳です。
どうでしょうか、僕はこっちの方が楽しいと思ったんですけど、プロット的なサムシングにお詳しい方、ぜひ詳しいこと教えてください。*1
追記)
あ、違いますね。
単純に、第二巻も買ってもらおうと、次の巻へのヒキのために盛り上がる蜀漢パートを最期に持ってきったってことですね。