三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

吉川三国志、新連載の予告記事

 1939年8月26日より中外商業新報などで連載を始めた吉川英治三国志』ですが、それに先だって24日の夕刊に新連載の予告記事が出されていました。
 作者が、新聞社が、この新連載をどのように考えていたかアピールしようとしていたか端的に窺えて、なかなか面白いです。戦前の大衆三国志観、大陸観が見え隠れしてるかなーって感じですね。
 以下に全文を紹介します。太字はにゃもです。




 長らく愛読を賜りました子母澤寛氏の「女夫系図」は好評裡に明日完結致しますので続いて、吉川英治氏の「三国志」を以て夕刊第一面を飾ることになりました。
 呉、蜀、魏の三国鼎立に纏るこの大歴史小説三国志」は、大衆文壇の第一人者吉川氏を得て新しい興味と感銘を盛ることと信じます。背景は今や皇軍活躍の天地、新東亜の建設と併せ考えて頂ければ興味は倍増することと思います。挿絵は南画壇の重鎮たる矢野橋村画伯にお願いしました。画伯の枯淡、雅到に富む筆致は三国時代支那を活写して余す所なく、吉川氏の麗筆と相俟って読者諸氏の御期待に応えるに相違ありません。切に御愛読を乞う。


●作者の言葉・・・吉川英治
 支那は今、われわれの前に澎湃とくり展げられた宿題の国である。日本の総意の対象である。
 又、興味の天地でもある。国を知るには、史を知るにしくはないと云う。けれど支那の正史は膨大で、国民性は複雑である。古来、支那は小説の国であり、幾多の巨編にも富んでいるから、この際、支那の傑作が日本に読まれることは、文化的に見ても、相互に大きな意義があろう
 そう考えて自分は「三国志」を選んだ。演義三国志は夙く江戸時代に高井蘭山の訳本で広く紹介され、その大構想と東洋的な血を同じうする篇中の国士、義人、忠臣、佳人などの行動や言句は日本の武士の子弟にも、町家の人々のあいだにも血をわかせて、愛誦共感されたものである。
 その頃の支那と、今日われわれの前にある支那とは、隔世のちがいがある。同時に三国志を書くにも、読まれるにも、大きな違いがある。私が書こうとする意義は、そこに汲んで戴けると思う。元より原書には拠るが、私の三国志は飽まで私の三国志となることは必然である。新しい日本版三国志を完成してみようと念じている。


●作者の言葉・・・矢野橋村氏
 吉川氏が新たに三国志を書き下されるについて私がその挿画を執筆することになった。興亜聖戦の最中三国志執筆に着手される作者の意気に共鳴し、その女房役としての挿画を引受ける気になったのである。引受けたからには最善の努力を尽して読者諸君の期待に背かぬだけのものを描いて見たいと思っている。