三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

甄洛の失寵

太子(曹丕)王位に即き、后(郭后)夫人と為り、踐阼するに及び貴嬪と為る。甄后の死、后の寵に由る也。黄初三年、將に后位に登らんとし、文帝立てて后と為さんと欲す。(『三国志』文徳郭皇后伝)

 ここで言われる「貴嬪」という地位ですが、これは曹丕が即位して初めて設けた称号です。そして后妃伝やこの箇所を見た感じですと多分、「夫人」より上位にあろうかと思います。
 曹丕が魏王であった時は、甄洛も郭后も揃って王夫人でした。それが即位するや、郭后のみ貴嬪に登るという待遇を受けて甄洛の一歩上に立たされたのです。と言いますか、もしかしたら「貴嬪」という称号は、そもそも甄洛との差別をするために設けた地位なのかも知れません。事実上の立后内定と言ってよいでしょう。
 こう見ますと、甄洛は220年の時点で既にその寵愛を失っていた事が分かります。甄洛はその生前から、正妻の座を郭氏に奪われていたのです。曹叡という、この上ない切り札を有していながら。