三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

劉璩の続柄をめぐって -劉理と劉淵

 『続三国志』における劉淵こと劉璩は、こちらの家系図の通り劉禅の子となっています。
 ところが『続三国志』の原書である酉陽野史『三国志後伝』を見ますと、「劉理の子」とされているのです。劉理とは、劉備の三男にして安平王に封じられた皇族です。
 しかしこれはおかしい。

・おかしい点①
 歴史上において劉璩とは、劉禅の七子とされている皇族である。
 『三国志後伝』がこれを劉理の子と変えるのはおかしい。
・おかしい点②
 『三国志後伝』においては劉理の子とされている劉璩。
 それを訳出した『続三国志』が劉禅の子に変えているのがおかしい。

 その①について、これは『三国志後伝』があえて親を劉禅から劉理へと変えた理由を考えなくてはなりませんけど、考えられることとしては彼が馬超の娘を娶っていることでしょうか。つまり劉淵の外祖父が馬超となる訳です*1
 その②について、結果的には史実に近づいた形になるわけですけど、どうでしょうか?もしかしたら誤訳の結果かもしれないです*2

*1:本作における馬超は、今なお羌族に影響を及ぼす英雄として、蜀漢と羌胡とを繋ぐ存在として描かれてるっぽいです。例えば、羌胡に投じた劉淵たちが、羌胡が祀る諸葛亮廟と馬超廟に詣でるシーンがあります

*2:『続三国志』第一巻にて、劉據は劉禅の三男であると説明されています。でもそのたった数行前に「劉褜は劉禅の三男である」との文章がありまして、何らかのミスがここで起こっていることが窺われます。これについてはひろおさんが前に指摘していました