和製蛇矛の曲がりばな その2
・「三国与太噺」‐丈八蛇矛の分かればな
・「三国与太噺」‐和製蛇矛の曲がりばな その1
『絵本通俗三国志』によって広まってしまった三叉槍の蛇矛。
では、日本の蛇矛が「曲がりはじめる」のはいつ頃なのでしょうか。
そこで注目しましたのは、『絵本通俗三国志』に匹敵する影響力を持つこの作品。
ご存じ横山光輝『三国志』です。
しかし本作でも「蛇矛」ではなく、大薙刀になっていました。
「横光三国志」の連載開始は1971年。聞く話だと、当時は日中関係の問題から資料面で苦労されたとのことですが、逆に言えば、資料がなくては「蛇矛」が描けないほど未だ日本に「蛇矛」のイメージが乏しかったことを窺わせます。
また、横光に遅れて79年から刊行された、久保田千太郎・園田光慶『三国志』においては、
*2
『絵本通俗三国志』の影響と思われる「三叉槍」になっていました。
これらを見る限り、70年代に至ってもまだ「曲がりくねった蛇矛」は定着していなかったようです。
ところが、その転換点も『横光三国志』らの中にありました。
それがこちら。
*3
横光も園田も、前半ではおのおの違っていた蛇矛が、ある箇所を境にして「曲がりくねった蛇矛」に変わっていました。とても興味深いことであります。
はたして、「横光三国志」で「蛇矛」が描かれたことが他の三国志ものにも影響を及ぼしたのか、あるいは「横光三国志」に描かれるほどに「蛇矛」が日本で定着したということなのか。いずれにしても「横光蛇矛」の変化は、日本における「蛇矛」の定着時期と大体一致しているっぽいです。
80年代には「人形劇三国志」(82)や、日本初の三国志アニメである日テレ「三国志」(85)が制作され、90年代は『蒼天航路』(94)と「三国無双」(97)が登場しますが、いずれの蛇矛も「曲がりくねって」いました。
以上のことから、おそらく1980年前後が日本の「蛇矛」の定着時期なのだと思います。
つい30年ほどのことなのです。