和製蛇矛の曲がりばな その1
以前の記事で、張飛の蛇矛が「曲がりくねった」状態になるのは近現代になってからであるということ、『絵本通俗三国志』の蛇矛が今の形とは全然似ても似つかないことを書きました。
『絵本通俗三国志』は近世近代の「三国志」に最も大きな影響を及ぼした作品でありまして、たとえば明治中期頃から多数刊行された「三国志」の読本や絵本を見ると、ほとんどが「三叉の蛇矛」を描いていました。『絵本通俗三国志』の強い影響下にあって、張飛の蛇矛も三叉状が定着してしまっていたのでしょうか?*1
そんな中、滝沢馬琴『南総里見八犬伝』でふと見つけた、この挿絵が気になっています。
ここに描かれているのは八犬士のひとり、犬飼現八。
場面としては、第165回の一場面「長阪橋より現八単騎にて大敵四万を懲退しむ」を描いたものだそうで、明らかに、『三国志演義』の「張翼紱 大いに長板橋を鬧がす」をモチーフにした場面であります。そしてその現八が構えるのも三叉槍・・・。
『南総里見八犬伝』は文化11(1814)年から天保13(1842)年まで28年に渡って執筆された作品でありますが、本場面が含まれる巻38が刊行されたのは天保12年。同じく天保12年に完結した『絵本通俗三国志』が見られた可能性は、高いと思います。もしかしたら、両者の間で「三叉槍」が張飛を象徴する記号として共有されていたのでは・・・と思い、気になっているところであります。*2