三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

吉川英治『三国志』(2-b) 〜黄巾の乱

北方、宮城谷、蒼天航路、無双、、、
などなど各ジャンル様々な"三国志入門"が躍動する現代にあってもなお色褪せない吉川三国志を改めて読み返してみた感想です。
今日は黄巾の乱の続き。


朱儁将軍

「ははあ。何処で雇われた雑軍だな」と、朱雋は、しごく冷淡な応対だった。
「まあ、せいぜい働き給え。軍功さえ立てれば、正規の官軍に編入されもするし、貴公らにも、戦後、何か地方の小吏ぐらいな役目は仰せつかるから」*1

それにひきかえて、本軍の総大将朱雋は、かえって玄徳の武功をよろこばないのみか、玄徳が戻ってくると、すぐこう命令した。
「せっかく、潁川にまとまっていた賊軍を四散させてしまったので、…貴公らはすぐ広宗へ引っ返して、再び、盧植軍に加勢してやり給え。今夜だけ、馬を休めたら、すぐ発足するがよかろう」*2

「およそ嫌いなものは、官爵を誇って、朝廷のご威光を、自分の偉さみたいに、思い上がっている奴だ。…」
と、関羽がいえば、
「そうさ。俺はよッぽど、朱雋の面へ、ヘドを吐きかけてやろうと思ったよ」と張飛もいう。*3



 朱儁登場!
 吉川三国志の影響力の大きさが如実に現われている例のひとつでしょう
 権威を笠に着る、無能で傍若無人な単なる小人物と描かれている朱儁
 『演義』においては(この時点では)特にキャラ立てのない、しかし劉備にとっては実は黄巾の乱では一番身近な上司にあたる、まあ堅実な将軍といったところです。
 ところが、―『演義』でキャラが薄いことも手伝ってか、日本では一部に演義朱儁=小人物という勘違いが広がってしまっています。
 具体的な例では何と言ってもウィキペディアの朱儁の項目です。

小説『三国志演義』においても黄巾の乱にて官軍の指揮官として登場する。当初は傲慢で官の腐敗を代表するような人物として描かれ、義勇軍を率いた劉備を当初はぞんざいに扱い、劉備達の活躍を見ると自分の功名のため劉備達を利用しようとする。

 さて作中の朱儁に戻りますと、この後も張宝撃破の手柄を張飛に奪われたりと冷遇が続きますが、しかし宛城包囲の辺りからちょっと様子が変わります。長くなるので引用はしませんが講談社文庫版(1980)1巻の200ページあたりですね。朱儁劉備の問答の場面です。
 今まで厭味ったらしかった吉川朱儁が、ここで初めて『演義』同様の描かれ方をするのです。以降、吉川朱儁もまた『演義』へ合流し、再登場した時にはすっかり『演義』の通り、ついには国を憂うあまり血を吐いた上、頭を柱に叩きつけて憤死してしまいます。初登場の頃とは大変なギャップで、たぶん先生得意の"なかったことに"でしょうけど、いや逆にこれを設定リセットではないと考えるとちょっと面白そうですね。


●黄巾の黒幕、匈奴
 吉川三国志では序盤において、

「俺たちが暴れ廻ろうたって、俺たちのは背後から、軍費やら兵器をどしどし廻してくれる黒幕がなくちゃ、こんな短い年月に、後漢の天下を撹乱することはできまいじゃねえか」
「えっ。では黄巾賊のうしろには、異国の匈奴がついているわけですか*4

 というオリジナル設定が馬元義の口から明らかにされています。
 もちろんこの設定も、以降黄巾の乱において全く姿を見せることはなかったのですが、しかしこの匈奴黒幕説の他にも、「劉備はきっと、漢の民を興します。漢民族の血と平和を守ります」*5、「(関羽は)支那大陸は、ついに、胡北の武民に征服され終るであろうと嘆いた」*6などといくつか、北方からの異民族の脅威が窺える箇所があります。
 吉川先生が、後世の南北朝時代南宋時代などを念頭に置きながら書いたからか、あるいはもしかしたら現実社会を投影しての描写なのかもしれません。先生は三国志連載前の37年頃から日本軍の従軍記者として大陸に渡っているそうです。当時の歴史に疎いのでこれ以上は何とも言えませんが…。
 当時の歴史と言えば、話は逸れますけど、この吉川英治三国志』の連載が1939年〜1943年ですけど、実はあの周大荒『反三国志演義1920年代の作品なんですってね。意外にも両者は10年そこそこの差しかなく、あの時代に日本中国それぞれで三国志を題材とした小説が書かれていたことは意外です。『反三国志』は現実の中国を濃く反映させていると言われていますし、上記の様に吉川『三国志』も当時に無関係ではないとしますと、同じ時代に同じテーマが日中両側から描かれていたとはこれはかなり興味深いことではあります。


張宝の妖術を破る
 『演義』では「豚・羊・犬を屠ってその血を賊陣に撒けば術は破れる」という朱儁の助言によって倒しているのに対し、吉川では、

「あの絶壁を攀じ登って、賊の予測しない所から不意に衝きくずせば、なんの雑作もない」
「登れようか、あの断崖絶壁へ」
「登れそうに見えるところから登ったでは、奇襲にはならない。誰の眼にも、登れそうに見えない場所から登るのが、用兵の策というものであろう」*7

 という張飛の提案がきっかけとなって張宝を破っています。
 突破のきっかけが朱儁から張飛に変わっていることもさることながら、『演義』は「相手の呪に対してそれを上回る呪」で破りますが、吉川劉備らは張宝の術が気候を利用していることを看破、またそれを「奇・虚」という兵法で破っていることに、中国と日本、加えてそれぞれの時代の違いがあるように思えます。

*1:講談社文庫版(1980)1巻p159

*2:講談社文庫版(1980)1巻p163

*3:講談社文庫版(1980)1巻p166

*4:講談社文庫版(1980)1巻p166

*5:講談社文庫版(1980)1巻p14

*6:講談社文庫版(1980)1巻p140

*7:講談社文庫版(1980)1巻p193