曹魏諸王に関する、ちくま訳の大きな誤訳
以前、コメントで教えていただいたのですが改めて記事に。
【曹宇伝】
・原文
五年,改封單父縣。太和六年,改封燕王。
・ちくま訳
五年(二二四)、改めて単父県王とされ、六年(二二五)、燕王に改封された。
【曹峻伝】
・原文
五年,改封襄邑縣。太和六年,又封陳留。
・ちくま訳
五年(二二四)、改めて襄邑県王とされたが、六年(二二五)、また陳留王に封ぜられた。
【曹徽伝】
・原文
五年,改封壽張縣。太和六年,改封東平。
・ちくま訳
五年(二二四)、改めて寿張県王とされ、六年(二二五)、東平に国がえされた。
太和六年と明記されているものを、何故か黄初六年として西暦225年と補ってるのです。
問題は、魏では黄初五年の詔により224年〜231年の間、郡に封建されていた諸王をすべて県王に降格させており、『三国志』を読む限りではこの期間に郡王はおりません。ちくま訳に従うと225年に曹宇ら三人が"例外的に"郡王に復帰していると読めてしまいますので、注意が必要です。特に曹宇は皇族でも重要な人物ですし。*1
あと諸侯に関する誤訳といえば、公⇔侯の誤植が大変多いです。曹魏では公爵と侯爵では天地の差がありますので、これも気をつけて読まなくてはなりませんね。
*1:wikipediaも誤訳に影響されていたようですが、今では三人とも正しい記事に改められてますね。