三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

曹魏皇族の公

昨日に引き続きまして、今日は公爵です。
諸侯を公に封建することは光武帝の初期にも行われていましたが本当にごく最初期のみで、曹魏のように王と公とで兄弟を差別することは後漢でもこの後の西晋でも見られない処遇です。


(1)曹琬・・・長子公(222〜253)
 早世した(曹魏建国前に亡くなった)曹昂の養子になって跡を継いでいました。
 諸侯公としては珍しく王へ昇格している人です。


(2)曹蒴・・・冠軍公(222)・己氏公(223〜236・239〜245)・平陽公(246〜)
 早世した曹沖の養子になって跡を継いでいました。


(3)曹壱(恒)・・・済陽公(223〜)
 早世した曹玹の養子になって跡を継いでいました。


(4)曹範(闡)・・・成武公(229〜235)・郿公(236〜)
 早世した曹整の養子になって跡を継いでいました。


(5)曹抗(褜)・・・薊公(222)・屯留公(223〜)
 早世した曹均の嫡子として跡を継いでいました。


(6)曹茂・・・乗氏公(222〜225)・中丘公(226)・聊城公(227)
 兄弟で唯一、文帝期では王に封建してもらえませんでした。王に昇格した後も県王として他の諸侯王と格差を作られていたことは昨日の通りです。


 県王に封じられるケースとして「初封者の早世」ないし「養子相続」が多かったことは昨日の記事の通りでしたが、公の場合ですと「早世でかつ養子相続」が大半を占めています。もちろんその条件でも琅邪王や賛王といった例外はいますし、逆に実子相続でありながら公に留め置かれた曹均のような例もあります。