吉川三国志 【貂蝉】
元々『演義』以前からの民間説話を出身とする貂蝉。なので小説や演劇によってその結末は様々なのですが、吉川三国志のような連環の計と共に自害するパターンはおそらく初めてなのではと思われます。*1。
原典『三国演義』では貂蝉の結末は描かれないまま、呂布敗死に合わせてフェードアウトしてしまいます。もっともこれは貂蝉軽視ではなく、毛宗崗が弁明するところによれば、むしろこの様に行方が明かされない方がより趣きがあるのだそうです。しかし日本人読者とすれば結末が無いままではもどかしく、ともすれば作者が貂蝉を忘れてしまったのではと疑うまでありますよね。
それに対して吉川先生は、貂蝉に責務完了と共に自ら命を断たせることで、あくまで生涯を漢朝憂国に捧げる忠義、そして貞節を重んじる高潔さという、本来『演義』貂蝉が持っていた価値観*2をより強調させつつ、かつストーリー的にもこの連環の計を綺麗に〆ることに成功させたと思います。吉川三国志屈指の名場面と言えるでしょう。
ちなみに、『三国演義』並びに『通俗三国志』では呂布の徐州時代でも貂蝉が登場する訳ですけど、このシーンを吉川先生がどう書いたかといいますと、なんと普通に出てくるのです貂蝉。あんだけ綺麗に〆といてまたそれすら忘れちゃったのかよwwと思えばさにあらん、ちゃんと「この貂蝉は長安で死んだ貂蝉とは同名の別人である」と言い訳をしてるんです。*3
普段の先生ならきっと見逃してしまうとこでしたのに、やはり思い出のキャラなんじゃないかな。
*1:日本製貂蝉で多いのは、その後も生存して関羽あたりとフラグ建てたり折ったりするパターンですか。董卓暗殺と共に死ぬケースもなくはないですがそれも乱兵に殺されるなどで、自害するケースというのはちょっと寡聞にして存じません
*2:『演義』貂蝉像と民間説話などの貂蝉像との違いは伊藤晋太郎先生の「関羽と貂蝉」という論文が詳しく、また『演義』が如何に貂蝉を重んじて描いたかについては仙石知子先生と渡邉義浩先生の『三国志の女性たち』という著書が分かりやすくオススメです。
*3:余談ながら、『三国演義』において呂布の妻たちが紹介される段落があるのですが(袁術との縁談が持ち上がる場面)、これは李卓吾本系統にはない、毛宗崗本から追加される段落です。にも関わらずこの段落は何故か吉川三国志にも採用されています。もちろん吉川三国志では毛本を参考にした跡がない訳ではないのですが、この様な非常に些細な一文を採用するほど、吉川英治は毛本を読み込んでいたのでしょうか?