柴田錬三郎『柴錬三国志』(昭和41年)
卒論の没ネタを横流し(´・ω・`)
正式なタイトルは『英雄ここにあり』。昭和41年から43年まで連載。*1
いわゆる『柴錬三国志』ですね。『秘本』や『北方』などと並んで現代でも割とポピュラーな「三国志小説」だと思います。
ストーリーは桃園結義から出師の表までの「演義準拠」。独自の表現、解釈、簡略化など創意が加えられていますが、全体のストーリーやエピソードは『三国演義』を逸脱するものではない。これは『吉川三国志』と同様ですね。
しかし一言で「演義準拠」と言っても、実は結構多彩な傾向を持っていたんです。
そこで『柴錬三国志』と、旧来の「毛宗崗本」『通俗三国志』『吉川三国志』とを比較してみました。『柴錬』と同様の特徴を持てば○を、違ければ×です。
この結果が面白いのは、第一に「毛宗崗本」を種本としてかなり使っている点です。一覧表の1・4・13〜20ですが、全体的に作品の後半に従ってその影響が濃く出ているように感じました。
これほど「毛宗崗本」に依拠する三国志小説って、これまでほとんどなかったんです。それまでの日本では「毛宗崗本」はマイナーな版本でした。
それが一変したのは、たぶん昭和30年代に小川環樹・立間祥介の両先生が「毛宗崗本」の現代語全訳本を出されたからでしょう。日本で『三国志演義』と言って「毛宗崗本」を指す様になったのは恐らくこれ以降だと思います。
その初期に、いち早く「毛本」を取り込んだのが『柴錬三国志』だった訳です。
しかし『柴錬』が依拠したのは「毛本」だけではありません。
一方では『通俗三国志』や『吉川三国志』の特徴も兼ね備えていました。これが興味深い第二ですね。
特に、吉川英治個人による三国志小説に過ぎない『吉川三国志』を、あたかも『三国志演義』の訳本のひとつとして見るが如く、遠慮なくその創意をパクりまくっているのが面白い。
一覧表にあるもの以外でも、
・劉備のキーアイテムである伝家の宝刀
・関羽が学舎の先生であること
・芙蓉姫の登場
・黄巾の乱における劉備の活躍(潁川の火計、張宝を討ち取るなど)
・朱雋の無能ぶり
・曹操の赤備え
・貂蝉が連環計の後に死ぬこと
・阿斗より前に、麋夫人が劉備の子を生んでいること
などなど、吉川オリジナルの創作を真似た部分を挙げればキリがないです。ここまで多いと、『吉川三国志』が種本のひとつに使われていたと言っても過言でないでしょう。
これは『吉川三国志』が単なる歴史小説ではなく、『三国志演義』の「新訳」だと認識されていた為ではないか、と僕は思っています。
『柴錬三国志』とは、各種ある『三国志演義』訳本を総合した上で、自身の創意・表現・解釈を盛り込んだ作品です。ある意味では演義系諸本の集大成ですね。
そしてこの『柴錬』に引き続いて登場するのが、今度は正史・演義を総合した三国志小説『秘本三国志』だという訳なのです。
昭和40年代の「三国志」の在り方として、面白い位置づけができそうな作品でした。