呉王の件【呉侯】
孫呉には、呉侯に封建される皇族がしばしばいました。
たぶん何かしら特別視されていたと思うんですけど、よく分かりません(´・ω・`)
後漢での漢中王劉備、西晋での晋王司馬叡の様なものでしょうか。
・孫策
198年、烏程侯から改めて呉侯に封建されました。
200年に呉侯のまま亡くなりますけど、その後この爵位が弟と息子とのどっちに行ったかが難しいところです。たぶん、どちらにも行ってないと思います。
・孫英
孫登の息子。
いつかは分かりませんが呉侯に封じられました。
254年、呉侯のまま叛乱に敗れて誅殺されました。
・孫基
孫覇の息子。
255年ないし256年、呉侯に封じられました。誅殺された孫英の代わりでしょうね。
・孫壱
孫静の孫。
257年、魏に投降し、呉侯に封じられました。
降ってきた宗室を改めて封じるくらいだから、"呉侯"にはきっと特別な意味が込められているんだと思います。
なにか、ちょっといわくつきの皇族ばかりな気がします(´・ω・)