三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

季漢

関羽の末裔その1 【関永傑】

関羽の子孫といえば日本では一般に、蜀漢滅亡のときに龐会によって滅ぼされたとされています。 しかし― 關永傑、字人孟、鞏昌衞人。世官百戸。永傑好讀書、每遇忠義事、輒書之壁。狀貌奇偉、類世人所繪壯繆侯像。崇禎四年會試入都、與儕輩遊壯繆祠。有道士前…

關聖帝君の䖝袍

旧暦6月24日は全世界的に――...異説もありますけど、関羽の誕生日です。 玄紱看其人、身長九尺、髯長二尺、面如重棗、脣若塗脂、丹鳳眼、臥蠶眉、相貌堂堂、威風凜凜。玄紱就邀他同坐、叩其姓名。其人曰、吾姓關、名羽、字壽長、後改雲長、河東解良人也。 …

『建康実録』と乾隆帝と関公

「関忠義」という三字は忠義将軍関羽ということなんだろうか。初めて聞く。 #建康実録— 六合 (@Rieg__Goh) 2014, 5月 19 これ見て(゚д゚)ハッとなりました。 どう見ても、乾隆帝のせいだと。 『清史稿』卷八十四 禮志三 關聖帝君にこんな一条があります。 乾隆三…

『漢晋春秋』の蜀漢正統論

中村圭爾先生の「魏蜀正閏論の一側面」(『六朝政治社会史研究』(汲古書院、2013)収録)を読んだ感想であります。 習鑿歯『漢晋春秋』の蜀漢正統論は、『四庫提要』が言うように蜀漢と同様に亡命政権を建てた東晋の正統性を主張するため、と解釈されて…

関羽の末裔

我われはこの男を知っている! いや!この重棗の如き顔色とこの美髯を知っている! 関龍逢 後述の『新唐書』宰相世系表にて、関氏の祖とされている。 正史を検索してみると、「関龍逢は、夏の桀王の臣である。比干は、殷の紂王の叔父である。二人はともに諫…

山陽公vs安楽公

後漢皇帝の後裔である山陽公と、蜀漢皇帝の後裔である安楽公。 どちらも曹魏、西晋において特別の地位にありましたので、その待遇について比較してみます。 他に見つけ次第追加したいと思います。 山陽公 安楽公 劉協(〜234)→劉康(〜285) →劉瑾(〜289) →劉秋…

九代目の再受命

漢の光武帝は、高祖から数えて九世の孫にあたります。 高祖―文帝―景帝―劉発―劉買―劉外―劉回―劉欽―光武帝 後に彼は自らの「九世」というキーワードと符命とを関連させることで正統性を主張しました。 そして高祖から元帝までが八世であったため、 高祖―文帝―…

蜀漢の正統のゆくえ

こないだちょっと魏蜀正閏論の話になったときに、蜀漢が正統として弱いのは、やっぱりこれを継承する王朝がなかったからだろうという感じの話をしました。 曹魏でしたら、司馬晋がここから禅譲を受けたことによってその正統性が保障されました。晋以降も劉宋…

三国正閏論あがりさがり

最近ではその様な論文を読みます。 だいぶんイメージが変わりました。

漢王朝の正統伝承者

29X年、時はまさに世紀末! しかし漢王朝はまだ死滅してはいなかった! \テーレッテー/

出師の表

諸君 私は漢が好きだ 諸君 私は劉氏が好きだ 諸君 私は漢王朝が大好きだ高祖が好きだ 文帝が好きだ 武帝が好きだ 宣帝が好きだ 光武帝が好きだ 明帝が好きだ 章帝が好きだ 昭烈帝が大好きだ蕭何が 張良が 韓信が 陳平が 訒禹が 呉漢が 馬援が 馮異が 関公が …

劉備の廟号

昨夜ウィキをだらーっと見て、初めて知りました。 wikipedia‐「劉備」 「烈祖」って言うんですって! 中文ウィキにも同じように書かれていましたが、知りませんでしたー(゚Д゚;) よりによって曹叡とおな その出典についてウィキは「『晋書』「巻百 列伝第七十 …

やるそう叡

呉王の件【魏】

219年、曹操政権は孫権を南昌侯に封建しました。関さん倒したご褒美ですね。 そして221年秋、孫権は魏王朝より呉王に封建されます。 なんか当たり前のように考えていましたけど、改めて考え直すと、何故わざわざ呉に改封したのかちょっと不思議です。…

呉王の件【呉】

222年、孫権の王位は曹丕に剥奪されてしまい、以降の呉王は孫権の自称だったと思われます。 それでもその後も引き続き王国の体裁があっただろうことは、225年に顧雍が丞相に任じられていること、孫登が引き続き王太子であったことから分かります。 さ…

呉王の件【蜀漢】

(延熙)十五年,呉王孫權薨ず。 ―後主本紀列伝 前の記事で孫権の呉王は魏ないし漢のどちらに由来するものか、と書きましたが、どうやら蜀漢的には、孫権は漢王朝によって呉王に封建されていたようです。しかも即位もなかったことにされています(笑)*1 これは…

呉王の件【呉侯】

孫呉には、呉侯に封建される皇族がしばしばいました。 たぶん何かしら特別視されていたと思うんですけど、よく分かりません(´・ω・`) 後漢での漢中王劉備、西晋での晋王司馬叡の様なものでしょうか。 ・孫策 198年、烏程侯から改めて呉侯に封建されました。…

昭烈帝の系統

俺が許都行った時ヒキョウにも「どうやって劉備が皇族だって証拠だよ」って言ったがバカすぐる、お前は中山靖王勝つの後胤っていう名セリフを知らないのかよこの系図なら劉備が皇叔なのは確定的に明らか。宗正とかゆうジョブが読むと曹操は真っ赤にしてうつ…

炎興二年

元号オブジイヤー、炎興。 謹んで案ずるに、『通鑑綱目』、炎興元年冬十月、帝出で降り、漢亡び、次年は魏の咸熙元年に書す。炎興に二年無し。此の二年を称すは、『綱目』と合わず。劉封・廖化諸伝を考えるに、仍ち咸熙元年に作る。此の炎興二年を書すは、郝…

その後の蜀帝

(景元四年)この月、蜀主劉禅訒艾を詣で降り、巴蜀皆平ぐ。…(翌咸熙元年)丁亥、劉禪を封じて安樂公と為す。(『三国志』元帝紀) 263年、後主劉禅が降伏。ここに蜀漢は滅び、翌年劉禅は安楽公に封じられます。公爵とは、魏において曹氏宗室と一部の例外のみ…

蕭常撰『続後漢書』目録

何度か触れました、南宋蕭常による『続後漢書』の目録です。 おまけで作ったもんです。 蕭氏『続後漢書』目録 だいぶ、『三国志』に対してフリーダムですね。 最大の特徴は、表の二巻と、呉魏の載記ですね(もちろん本紀も)。 なお前回と同じように、 黒字・…

関羽の諡号"忠義侯"

先日の記事の捕捉になりますが、関羽の諡号が郝氏『続後漢書』(以下『郝経』)で"忠義"だったことについて。 ツイッターで教えていただいたところによりますと、もともとの『郝経』ではおそらく『三国志』と同じ荘繆侯(あるいは荘穆侯)だったものと思われます…

『続後漢書』関羽伝を本文校合 ver1.02

『続後漢書』の詳細につきましてはグーグル先生にどうぞ。ぼくも成立背景や性格などよくわかりませんで、その辺がまとまったモノがあればなと思う今日この頃です。 基本的に『三国志』のコピペなので面白みは少ないですけど、よろしければどうぞおひとつ。 …

郝経『続後漢書』目録

『続後漢書』 ぱっと見、謝承や袁宏などたくさんある後漢時代史のうちの一冊のように思えますが、扱ってるのは三国時代。『続漢書』と紛らわしい。 三国時代を扱っていながら大変マイナーな史書で、ネットを引いてもびっくりするほどヒットしません。 この本…

『続後漢書』黄忠伝を本文校合では終わらなかった

【三国志】 及曹公克荊州,假行裨將軍,仍就故任,統屬長沙守韓玄 【続後漢書】 及曹操克荊州,假行裨將軍,仍就故任,統屬長沙守韓元 ハハッ、ワロス。 否・・・!終わっていない・・・! ここで終ったらまるで・・・毎日更新だけを目的にしたかのよう・・…

『続後漢書』関羽伝を本文校合

『続後漢書』の詳細につきましてはグーグル先生にどーぞ。ぼくも成立背景や性格などよくわかりませんで、その辺がまとまった研究資料があればなー、と思う今日この頃です。 今日この頃と申しますれば、話は変わりまして朝霧さんがスカイプでやってらっしゃる…

呉蜀諸王の傾向と対策はいらない

駄目だこの孫呉・・・早くなんとかしないと・・・ 呉蜀諸王の一覧 こちらの「呉蜀諸王一覧」からpdf形式で落とせます。*1 *2 今日でやっとのこと国学の発表が終わった訳ですし、ちょっと休憩がてらに孫呉と蜀漢で王に封じられた人を一覧にしてみました。 ち…