毛宗崗本における華佗の最期
以下は立間祥介訳『三国志演義』第七十八回の一段落である。
頭痛に悩まされる曹操は、神医と称される華佗を辟紹して治療にあたらせる。以下を読んで問いに答えよ。
華佗の言うには、
「大王(曹操)の頭痛は風がもとで起こったものでございます。病根が頭の中にあるゆえ、風涎(病原体)を出すことができず、薬湯をもっては癒すことはできませぬ。それがしは、まずは痺れ薬をお飲みいただいたうえで、鋭い斧で頭を切り開き、風涎を取り除きまするが、これでのうては根治はかないませぬ」
「貴様はわしを殺そうというのか」
曹操が怒ると、
「大王には、かつて関公(関羽)が毒矢にあたって右臂を痛め、それがしが骨についた毒を削り落して療治いたしました時、恐れる色も見せなかったということを、お聞きおよびにはございませぬか。大王のご病気はさしたるものではございませぬに、それはちとお疑いが過ぎましょうが」
「臂を切り開くこともできようが、頭が切り開けるものか。さては貴様は関公とのよしみから、これを機に、仇を討とうとしたものじゃな」
と曹操は、左右の者に、獄に下して拷問にかけよと命じた。
問.この段落で作者が述べたいこととして正しいものを以下から選べ
ア、3世紀において、既に麻酔を使って外科手術を行うほどの、華佗の医術の高さ。
イ、華佗の神業を信用できない曹操は、愚かにも自ら助かる道を断ってしまった。
ウ、曹操に見破られたが、関羽に呼応して曹操殺害を図った華佗の義は素晴らしい。
エ、三国志演義は荒唐無稽な本であり、士大夫の読む本ではない。
正解は
答.ウ、「曹操には見破られたが、関羽に呼応して曹操殺害を図った華佗の義は素晴らしい。」
どうでしょうか?
たぶん、ほとんどの人はイの意味で読んでたんじゃないでしょうか。僕もずっとそうだと思っていましたし、吉川英治も、
せっかくの名医に会いながら、彼は名医の治療を受けなかった。のみならず華陀の言を疑って、獄へ投じてしまったのである。まさに、曹操の天寿もここに尽きるの兆というほかはない。
―『吉川三国志』卷九
と書いてますし。
でも作者、―つまり毛宗崗はおおよそ以下のように解説します。かつて龐徳のエピソードでも紹介したあの毛宗崗です。
曹操が華佗を殺したのは、華佗が曹操を殺そうとしたからである。華佗は曹操を治療すると言うが、頭を切開するような医術があるわけがない。では何故か。義を慕う者は、必ず悪を憎むのである。華佗は関公の義を慕って治療した。だから(悪を憎む心を持つ華佗は)曹操を殺すのである。華佗の死は、まさしく吉平の死と並ぶものなのである、と。
注目すべきは、毛宗崗が華佗の治療法を信じていないということです。現代人の僕は、開頭手術が現実的に可能であることを知ってますし、作中の華佗があたかも万能の神医とされていることを知っていますから、当たり前に華佗の言葉を信じていました。しかし当時の読者の目線に立てば、たしかにこうゆう理解に行きつくのかもしれません。
ただ李卓吾本では、どうもイの意味で読んでいるようでもありますし、これが『演義』的に正しい理解かと言うと疑問です。龐徳の件でも言いましたが、やはり「華佗の義」を読みとる毛宗崗は異端かもしれません。
それでも少なくとも現行の『演義』の限りでは、ウと理解すべきのようです。