本姓夏侯氏
DNA解析の結果、曹氏と夏侯氏の間に遺伝的一致はなかった、すなわち曹嵩は夏侯氏から養子に入ったのではなく、曹氏傍系の出身だったのだ。
そんな中国の研究が三国志界隈を震撼させています。
曹操出自の謎に完全決着というセンセーショナルなニュースは、いろんなニュースサイトで取り上げられてるみたいですし、僕はツイッターで話題になっているのを見て知りました。けっこうな三国志ファン、曹操ファンが、曹操と夏侯惇が従兄弟ではなかったということにショックを受けたみたいです。
すでに枕流亭さんやてぃーえすさんもブログで取り上げられてます。
http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20131113/p1
http://d.hatena.ne.jp/T_S/20131114/1384355146
ところで文献資料上では、曹嵩の出自はよくわかっていません。『三国志』武帝紀は「曹嵩の出自は明らかではない(莫能審其生出本末。)」とするのみで、夏侯氏説の根拠は、裴松之注が引く『曹瞞伝』と郭頒『世語』が「曹嵩は夏侯氏の子であり、夏侯惇の叔父である。曹操は夏侯惇のいとこになる」としていることにあります。
『曹瞞伝』などはにわかに信用しがたい史料だけど、しかし武帝紀本文も「明らかではない」と濁した表現だし。夏侯氏出自という説は説得力はあるけれど、さりとて断定もできない、という曖昧なものでした。
それが「曹操は夏侯氏の出身である」と当たり前に言われるようになっている原因は、『三国志演義』にあり、特には毛宗崗本にあります。
いま通行している『演義』(毛宗崗本)は、曹嵩の出自をはっきりと、「曹嵩は、もと夏侯氏であったが、曹騰の養子となって、曹姓を名乗っていた(曹嵩、本姓夏侯氏。因為中常侍曹騰之養子、故冒姓曹)」と書いてます。
ただし、これは毛宗崗が書き改めたもので、それ以前の『演義』は、『三国志』武帝紀と裴注そのままに近い文章になっていました。
それを毛宗崗が、「夏侯氏の養子である」という部分だけを残して短くまとめたのは、それによって曹操を激しく貶めるためです。中国で堅く堅く禁じられている異姓養子という点を前面に押し出すことで、いかに曹操が賤しくて汚らわしい出自か、ということを伝えようとしているわけです。曹操は宦官の孫である上に、異姓養子の子供なのだと。
「本姓夏侯氏」とは、そういう意味です。