三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

荀或その死の謎

ちょっと過去の記事をトラックバックさせていただきました。
『花郁郁たる高陽里』様、「ありがとう汲古書院後漢書、そして東海大!」より引用です。
http://gaoyangli.blog79.fc2.com/blog-entry-63.html


荀或の死の謎は三国志ファンにかなり人気があるとこですよね。
mixiのコミュなどでもよく議論されますけど、いやぼくは年齢に矛盾があったことも全くの初耳でした。おもしろそうですねぇ。

で、問題はこの記事の最後でおっしゃっていたように、何故陳寿がこのような記述をしたかですね。うっかりミスだとは思えません。いや思いたくありません。

記事を読ませて頂いての印象での想像なのですが、曹操が荀或を間接的に殺した、ということは西晋の公式見解に近いものではなかったか、と思いました。
名士である司馬氏にとって、曹操が名士に圧力を掛けた件はある種の宣伝材料にならないでしょうか?
もしそうならば荀或の死は圧力の象徴ですから、曹操とそれとの因果関係をより強調する効果がある「建安十八年の死」は司馬晋にとって好ましいものと考えられます。
陳寿はそういう意識を汲み取って建安十八年説をあえて採用する一方で、裏っ側の真相として享年の矛盾を残した、というのはいかがでしょう?
ぼくは荀或問題のことはまるで知らんので曹操と荀或間に諍いがあったかなかったかは考えませんが、司馬晋としては「あった」方が好都合ではないかなと思います。

とりあえず、参考文献に挙げられていた美川先生という方の論文を読んで来ますねノシ



あと余談なんですけど、この方の過去の記事を読みましたら、去年の三国志学会講演会in二松にいらっしゃっていたようです。しかも懇親会にも参加されていたとのことなので、実は二松地下イチ食堂ですれ違ってた訳ですね。
びっくり!

そして今年の第五会三国志学会の開催はなんと我が二松学舎大学
と、去年の大会でおっしゃっておりましたが。
予定通りでしたら二松B2階のfucking中洲講堂ですね。
楽しみに待ってますw



2010.6.17追記
こちらにてT_Sさんに指摘いただきました。

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20100617/1276700489

いやはやありがとうございます、、、
史書にあたることを怠った結果がこれだよ!!
反省してとりま二冊を読んでみての感想はコメントの通りです。
しかし十八年説にはかなりwktkさせていただきましたので、なんか新説が出て来てくれると楽しいですねぇ。人気キャラですし。