劉備は十七代目
陳寿『三国志』では不明である中山王劉勝と劉備までの間の系譜ですが、こちら『三国志平話』ではその間に17世代あったとしています。
そしてその後代に成立した『三国志演義』で、こちらの記事にある通り、劉勝から劉備まで具体的な系譜が説明されており、これを数えるとちゃんと劉備が劉勝の十七代孫になっているんです。『平話』が言っていた通り。恐らく『平話』『演義』で共通の元となった「劉備は十七代目」という固定された認識がどこかにあったのでしょう。
ちなみに、劉備が十七代孫だと献帝より遙かに下の世代になってしまい、「皇叔」という呼称は適当ではありません。にも関わらず『三国演義』がついに劉備の系譜を改めなかったことを考えると、やはり「劉備は十七代目」には何か動かし難いテンプレがあったのかもしれません。*2