劉娥と劉英
劉聡の妻の劉娥は字を麗華といい、太保劉殷*1の娘である。劉聡は召して右貴嬪として甚だ寵愛した。劉娥は皇后を拝し、……薨去するに及び、武宣皇后と諡された。
その姉妹の劉英は字を麗芳といい,劉娥と共に召されて左貴嬪を拝した。武徳皇后を追諡された。
―『晋書』列女伝、劉聰妻劉氏
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劉聡は太保劉殷の娘を納めようとしたが、劉乂はこれを固く諫めた。しかし太宰劉延年、太傅劉景らは皆曰く「陛下と太保は本源が異なりますので大丈夫っす」。
劉聡は大いに悦び、劉殷の娘2人を左右の貴嬪とし、劉殷の孫娘4人を貴人とした。
これにより"六劉の寵"で以て劉聡はほとんど後宮から出てこなくなった。
―『晋書』劉聡載記
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