趙雲の嫁なんているはずがない
ただの思いつきなんで、適当なこと書いてたらすみません。
趙雲って、びっくりするほど女性関係のイメージがない人物じゃないですか。
もちろん趙雲には趙統趙廣という息子がいますから、当然夫人だっていたはずです。当たり前です。
でもググってみると、たとえば「趙雲は生涯妻帯しなかった」とか「趙統は養子」だとかのイメージが浅からず広まっていることが垣間見れます。
それに身近な話でアレですが、前にいた大学院に『演義』を研究してる先輩がいまして、これが大の趙雲マニアでした。常日頃から「趙雲に奥さんはいない、結婚してない」って言うのです。趙雲研究で学会発表をしたほどの方がそうゆうのですから、きっとやんごとない根拠があるのだと思います。たぶん。
もちろん、繰り返しますけど正史『三国志』に基づけば、こんなのは荒唐無稽でありえない話と一蹴できます。が、現代の創作物などを見れば、どうやらイメージが存在する事実はあるらしいことが何となく読み取れます。
僕はこれが、けっこう現代日本の趙雲像において重要な要素なんじゃないか、って気がするんです。
そして、もしかしたらこういうイメージは現代日本だけのもので、中国では少し違うのかもしんない、と思いました。というのも中文サイトをちらほら見てて気になったのですけど、考えてみれば中国由来の物語だと結構「趙雲の妻」が出てくるんです。
たとえば孫軟児。
趙雲の最期にまつわる民間伝承に登場する妻です。由来はわかりませんが、そこそこ広まってる話っぽい。あらすじはむじんさんのところで紹介されてます。
ある日、妻が戯れで趙雲の身体を縫い針で突いたら、、、というお話です。どっかで聞いたことありませんか?
http://d.hatena.ne.jp/mujin/20060612/p2
次に李翠蓮。
「青鋼剣」という河北梆子(戯曲の一種)に登場するそうですが、詳しくは全然わかりません。下記の中文サイトが関羽、張飛、趙雲の女性話をまとめており、その中で見かけたものです。
あらすじはこんな感じ?
長坂の戦いで劉備とはぐれた趙雲は、四川に迷い込み、そこで李翠蓮と出会う。惹かれ合ったふたりはすぐに結婚する。しかしやがて劉備の元へ戻らなくてはならず、そこで自分の青鋼剣を証として残して去る。のち翠蓮は趙雲の子を産み、全定と名付ける。そして劉備が四川を得た時、趙全定は青鋼剣を携え父を訪ねる。しかし趙雲は諸葛亮と賭けをし、それに勝たねば母子と認めないという(ここ意味よくわかんない)。のち趙全定は功績を立てたので、諸葛亮らの勧めのもと、無事趙雲に我が子と認知された。
https://twblog.org/essay-69843-1-1.html
それに馬雲騄。
これは有名な『反三国志』のオリジナルキャラクター。馬超の妹であり、のち趙雲に嫁ぎます。
本作は馬超と趙雲を主人公格としているので、こういう人物を創作したんだと思います。
『反三国志』が書かれたのは民国時代、ちょうど『吉川三国志』の10年ちょい前です。
そして何より樊氏。あの趙範の兄嫁です。
趙雲の女っ気のなさを象徴する存在なのに、「龍鳳呈祥」なる京劇ではなんと趙雲と結ばれるんだそうです。人物像も趙雲と渡り合うほどの女傑とされ、樊玉鳳という明らかに趙子龍と対になる名前までもらって。
豪傑が女将軍と戦った末に結ばれる、ってのは多くの類話があり、いわばお決まりの型ではありますけど、それが趙雲と樊氏にも当てはめられたというのは驚きです。一体いつ頃に創作されたものなんでしょう?
http://www.asahi-net.or.jp/~ts6r-mtfj/critique/0111kyougeki.html
http://baike.baidu.com/view/1279931.htm
この他、近年撮影された映画「三國之見龍卸甲」(邦題「三国志」)やドラマ「三国志 Three Kingdoms」などでも普通に趙雲の妻が出てきます。とくに「Three Kingdoms」は幅広く視聴されたこともあって、日本の趙雲マニアをすこぶるがっかりさせたとかなんとか。
趙雲の清廉潔白というイメージ自体は、遡れば樊氏のエピソードなどに典拠を求めることはできます。でも上記のような日中でのイメージ差が実際あるとするならば、樊氏だけでは説明ができなくなります。
というか、「女性関係が潔白」なら、それは礼節に則って健全な女性関係を持っていたって意味じゃないですか。けど現代日本の趙雲は潔白を通り越して女性関係が皆無というか、彼女すら作れないアイドル状態になってる気がするんです。アイドル状態。
そしてその原因は、正直だいたい想像できます。
趙雲こそ、現代日本「三国志」の特質を体現させられた人なのかも。