三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

張飛廟の馬斉

 こないだツイッターって知ったネタです。

 ・魂太郎三国志遺跡の1人旅
 現在でも中国には各地に張飛の廟が残っているらしく、こちらの方はそのうち閬中の張飛廟に行かれたとのこと。
 で、関帝廟関平周倉がいるように、張飛廟にも従臣がいたそうなのですが、、、

まずは入り口に名も無い武将で飾られ、その奥に張紹・雷同・呉班・張遵の4人の人形があって、その奥に神仏っぽくてあんまり似合わない(張飛さんスイマセン)張飛の像が。その両側に張苞と馬斉(誰?いやマジで)の人形があった。


 いやマジで誰?(゚д゚)

 この馬斉、最初わかんなすぎてオリキャラかと思ったほどです。一応、実在はするにはするのですが、 ⇒wikipedia−「馬斉」
 でも『三国志楊戯伝が引く『季漢輔臣賛』にちょこっと記述があるだけ*1の人で、もちろん『演義』にも出てきません。
 張飛との接点は、張飛巴西太守だったときに功曹になり、のち推挙を受けて尚書郎になった、とだけ。なーんでこれが張飛と共に祀られることになったのか、皆目見当がつきません。もう少し他にも、それこそ雷同とか呉班とか、あるいは厳顔とか劉巴のほうが接点があるでしょうに。
 もしかしたら馬斉がこの閬中の出身だから、というローカルな理由なのではとも一瞬考えました*2。しかし馬斉像はここだけじゃなく重慶張飛廟にもいるらしいので、その説明ができません。閬中と重慶は近いっつったら近いので、真似した、、、とか?*3
 ほかの張飛廟ではどうなってるのか分かればもっと面白いのですけど、、、

 もっとも、今現在も目にすることができる三国志物語なんてほんのちょっとだけですんで、ずっと昔には張飛と馬斉の物語がどっかしらにあったのかもしれません。
 以前、なんで王甫が関羽配下にされてるん?って記事を書いたことがありましたけど、この馬斉もそれと似てる気がしました。

*1:國山休風、永南耽思。盛衡・承伯、言藏言時。孫紱果銳、偉南篤常。紱緒・義彊、志壯氣剛。濟濟脩志、蜀之芬香。
    贊王國山、李永南、馬盛衡、馬承伯、李孫紱、李偉南、龔紱緒、王義彊
盛衡名勳、承伯名齊、皆巴西閬中人也。……齊為太守張飛功曹。飛貢之先主、為尚書郎。建興中、從事丞相掾、遷廣漢太守、復為參軍。亮卒、為尚書

*2:たとえば関銀屏の物語などはその典型です。なんで関銀屏が李遺とかいうスーパーマイナーと結婚する設定にされてるのかと思ったら、その伝承は李遺の地元で伝えられていたものだった、とか

*3:ツイッターで検索すれば重慶と閬中の張飛廟に行かれた方々のつぶやきがありますんで、そこでそれぞれの馬斉像が見れます