張飛廟の馬斉
こないだツイッターって知ったネタです。
・魂太郎三国志遺跡の1人旅
現在でも中国には各地に張飛の廟が残っているらしく、こちらの方はそのうち閬中の張飛廟に行かれたとのこと。
で、関帝廟に関平と周倉がいるように、張飛廟にも従臣がいたそうなのですが、、、
まずは入り口に名も無い武将で飾られ、その奥に張紹・雷同・呉班・張遵の4人の人形があって、その奥に神仏っぽくてあんまり似合わない(張飛さんスイマセン)張飛の像が。その両側に張苞と馬斉(誰?いやマジで)の人形があった。
いやマジで誰?(゚д゚)
この馬斉、最初わかんなすぎてオリキャラかと思ったほどです。一応、実在はするにはするのですが、 ⇒wikipedia−「馬斉」
でも『三国志』楊戯伝が引く『季漢輔臣賛』にちょこっと記述があるだけ*1の人で、もちろん『演義』にも出てきません。
張飛との接点は、張飛が巴西太守だったときに功曹になり、のち推挙を受けて尚書郎になった、とだけ。なーんでこれが張飛と共に祀られることになったのか、皆目見当がつきません。もう少し他にも、それこそ雷同とか呉班とか、あるいは厳顔とか劉巴のほうが接点があるでしょうに。
もしかしたら馬斉がこの閬中の出身だから、というローカルな理由なのではとも一瞬考えました*2。しかし馬斉像はここだけじゃなく重慶の張飛廟にもいるらしいので、その説明ができません。閬中と重慶は近いっつったら近いので、真似した、、、とか?*3。
ほかの張飛廟ではどうなってるのか分かればもっと面白いのですけど、、、
もっとも、今現在も目にすることができる三国志物語なんてほんのちょっとだけですんで、ずっと昔には張飛と馬斉の物語がどっかしらにあったのかもしれません。
以前、なんで王甫が関羽配下にされてるん?って記事を書いたことがありましたけど、この馬斉もそれと似てる気がしました。