三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

曹丕と道教文献

搜神記曰、……漢世西域舊獻此布、中間久絶、至魏初、時人疑其無有。文帝以為火性酷烈、無含生之氣、著之典論、明其不然之事、絶智者之聽。及明帝立、詔三公曰、先帝昔著典論、不朽之格言、其刊石於廟門之外及太學、與石經並、以永示來世。至是西域使至而獻火浣布焉、於是刊滅此論、而天下笑之。
  ―『三國志』卷四 齊王芳紀 裴注

 火に投じても燃えず、むしろ綺麗になるという火浣布。
 この『捜神記』によれば、曹丕はそのようなものはありえないとし、そのことを『典論』に記した。ところが曹芳の時代になって西域から火浣布の実物が献上されたものだから、天下の人びとは曹丕の不明を笑った、とあります。
 先日、この説話を踏まえた記述が『抱朴子』にあることに気づきました。

魏文帝窮覽洽聞、自呼於物無所不經、謂天下無切玉之刀、火浣之布、及著典論、嘗據言此事。其輭未期、二物畢至。帝乃嘆息、遽毀斯論。事無固必、殆為此也。
  ―『抱朴子』内篇 論仙二

 これによれば、博識な曹丕は玉を切る刀や火で浣う布など存在しないと『典論』に記したが、まもなく実物が献上されたので、曹丕は嘆息して持論を改めた、とあります。
 『捜神記』も『抱朴子』も説話の内容はほぼ同じですが、ただ『抱朴子』では誤りを知ったのが曹丕自身になっている、という違いがあります。この差異が興味深い。

 六朝時代の道教系、そして仏教系の文献には、こういう風に曹丕らが登場する説話がちょくちょく見られます。
 曹丕曹植孫権孫晧などをよく目にしますね。
 逆に劉備は見たことないです。