三国与太噺 season3

『三国志演義』や、吉川英治『三国志』や、日本の関帝廟なんかに興味があります。

与太噺

吉川英治と張郃

苦徹成珠の吉川さんも"三国志"だけは、リラックスに書かれたようである。楽しんで書いておられる風でもあった。馬上からバラリンズンと斬殺した人物を、後の場面で活躍させて、飛んだ失敗したよと、吉川さんが苦笑したようなお愛嬌もあった。*1 やはり先生も…

吉川英治『三国志』の初版本

(*´ω`*)ドヤァ・・・ 昭和15年に大日本雄弁会講談社より出版された、吉川三国志の初版本! なかなか手に入らないと思われる初収本の、さらに初版です。国会図書館でも初収本は読めるんですけど、しかし何巻か欠落があり、また初版ではなく昭和17年の再版…

曹操の失言

徐母曰:「劉備何如人也?」 操曰:「沛郡小輩,妄稱皇叔,全無信義,所謂外君子而內小人者也。」(徐庶母が言う)「劉備とはどのような方におわしますか」 (曹操が言う)「沛郡のいやしい家の出で、『皇叔』とか言いたてておるが、実は信義を知らぬ、外見は君…

昭烈帝の系統

俺が許都行った時ヒキョウにも「どうやって劉備が皇族だって証拠だよ」って言ったがバカすぐる、お前は中山靖王勝つの後胤っていう名セリフを知らないのかよこの系図なら劉備が皇叔なのは確定的に明らか。宗正とかゆうジョブが読むと曹操は真っ赤にしてうつ…

長沙の劉氏、劉封

劉封はもと羅侯の寇氏の子にして、長沙劉氏の甥なり。 先主荊州に至り、未だ継嗣あらざるを以て封を養い子と為す。 自分これまで劉封の出生を「羅侯の寇氏の子」「異姓養子」という印象を強く持ちすぎて、長沙劉氏の甥であるという設定を完全に見逃していま…

長楽郡公主 【劉曼】

この劉曼という女性が三国志大戦に追加された時に、一体どれほどのユーザーが彼女のことを知っていたでしょうか。セガもすごい重箱を突っついたものです。それとも既に何かの創作に登場していたのでしょうか? 魏書曰:十二月丙寅,賜山陽公夫人湯沐邑,公女…

司徒荀爽

『三国演義』第六回にて、董卓が提案した遷都の計画を三公が揃って反対する場面がありますが、何故かそこで荀爽の官職が司徒となっているのです。直前に同じく反対意見を述べた楊彪も司徒と記されていますので、わずか数行のうちに司徒が二人も並ぶ始末、明…

宜都王司馬祥

『晋書』恵帝紀の永寧元年の記事に、 「徙南平王祥為宜都王」 という一文があります。 南平王も宜都王もこの一文以外には『晋書』にはありません。 また司馬祥なる人物は、愍帝の兄に同名の人がおりますが、彼は淮南王を継いでいますのでおそらく関係はない…

英王のご家族

中宗大和聖昭孝皇帝諱顕,高宗第七子,母曰則天順聖皇后,……儀鳳二年,徙封英王,改名哲,授雍州牧。永隆元年,章懷太子廢,其年立為皇太子。(『舊唐書』中宗紀) 李顕は唐王朝の四代目皇帝で、母と妻はかの有名な武韋両皇后です。 また同母兄は『後漢書』の…

魏の魯相

彭城穆王權字子輿,宣帝弟魏魯相東武城侯馗之子也*1 なあ〜〜〜 大事な事、とっても……なんだよ… 魏の魯相って……『魯王がいなくても国相なの』……? 素朴な…疑問なんだよ メチャ最高に……答えてくれよ… もし…『魯相』が"魏にいたとしたら"『魯王』もよ〜〜〜 "…

陳寿と丁固

この流れ・・・契約するしか! 「てぃーえすのワードパッド」‐究明(4/21) 「雲子春秋」‐陳陳丁(4/22) これは意外な事実でした。 そして雲子さんの記事を読んで思い出したのですが、この丁固、韋昭『呉書』には立伝されていたらしいですよ。満田先生のご著書…

関平の字

だいぶん前の記事ですが・・・ 「てぃーえすのワードパッド」‐定国(2009/01/7) なお、関平の字は史実、演義において記されていないが、民間伝説において字が存在している。一つが坦之(たんし、か)と読むものである。……もう一つが定国(ていこく、か)と読…

輸入された誤字 【夏侯鹹】

三国志を知りたての頃は、wikipediaのこのページを見て楽しんでいたものですが、その頃から地味に気になっていたコレをふとさっき思い出しました。 wikipedia「三国志演義の人物の一覧」 この部分です。 夏侯鹹・・・?何者なんだ・・・? さっと検索してみ…

その後の蜀帝

(景元四年)この月、蜀主劉禅訒艾を詣で降り、巴蜀皆平ぐ。…(翌咸熙元年)丁亥、劉禪を封じて安樂公と為す。(『三国志』元帝紀) 263年、後主劉禅が降伏。ここに蜀漢は滅び、翌年劉禅は安楽公に封じられます。公爵とは、魏において曹氏宗室と一部の例外のみ…

時には昔の話を… 【孟不令休】

『三輔決録』にいう。伯郎は涼州の人で、名を不令休といった。その注にいう。伯郎の姓は孟、名は他、扶風の人である。(『正史 三国志1』ちくま学芸文庫) 孟達の父、孟他。またの名前を孟不令休。 不令休?まさかの三字名? この疑問をかつて「三国志博物館…

架空の兄 【曹喬】

曹操の兄にして、曹安民の父とされる人物。もちろん創作上の人物かと思われますが、ネット上の百科事典などでしばしば見かけます。 そこで改めて検索してみますと、主に以下のようなサイトさんが挙がってきました。 ・My三国志 http://my3594.net/wiki/%E6%9…

益州益州郡

こちらのコメントにも同じことを書いていますけど! 「てぃーえすのワードパッド」劉巴を殺そうとした人 自分、益州って名前の郡が益州にあることを初めて知りました! T_Sさんと雲子さんが"益州太守""益州郡"言ってるのを見て、え、なに・・・?と思いまし…

新王朝代の趙王

センセーショナルなタイトルをつけんとす。 王郎を担ぎあげ、河北で光武帝と凌ぎを削った、自称趙王 劉林にまつわる与太話です。 彼の肩書の怪しさについては、やる夫さんとこにも書いてありましたのでぼくもそうらしいってことは知ってました。 詳しくは、…

龍馬暗殺犯と八丈島

八丈島観光ポータルサイト http://www.8jo.jp/IMAINOBUO.htm 大賀郷小学校公式ページ http://www.hachijomachi-tky.ed.jp/ohsho/index.html ウィキペディア「今井信郎」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E4%BA%95%E4%BF%A1%E9%83%8E 龍馬暗殺の容疑…

420年、最高の友と共に

適当に北部尉に任じたり、 ベットごと引きずりだしたり、 つい左遷しちゃったり、 思わずクーデターして、 逆に弑殺されて、 ムリヤリ禅譲なんてこともあったけど、 (元熙二年)晉帝は王(劉裕)に禪位し……是において陳留王虔嗣等二百七十人、及び宋臺羣臣、並…

やる夫が光武帝になるようです 

ネットにおける中国史関係では大変有名なスレだと思います。ぼくが初めてウワサを聞いたのは最終回間近の春ごろでしたけど。 昨日夜の1時からぶっ通しで読んでしまいました。 大変感動した! 思わず亀茲から班超へ降りそうになるくらいにッ! すごいセンス…

呉蜀諸王の傾向と対策はいらない

駄目だこの孫呉・・・早くなんとかしないと・・・ 呉蜀諸王の一覧 こちらの「呉蜀諸王一覧」からpdf形式で落とせます。*1 *2 今日でやっとのこと国学の発表が終わった訳ですし、ちょっと休憩がてらに孫呉と蜀漢で王に封じられた人を一覧にしてみました。 ち…

匈奴産 【劉騊駼】

匈奴、其先祖夏后氏之苗裔也、曰淳維。唐虞以上有山戎、獫狁、葷粥、居于北蠻、隨畜牧而轉移。其畜之所多則馬、牛、羊、其奇畜則橐駞、驢、驘、駃騠、騊駼、驒騱。逐水草遷徙 集解徐廣曰「似馬而青。」 索隱按:郭璞注爾雅云「騊駼馬、青色、音淘塗」。又字…

高陵亭族 【曹純】

曹純、あざなを子和。 曹仁の同母弟として有名ですねー。 十代で父の家を継いだが、家をよく保ったために称賛された。十八歳で黄門侍郎、二十歳で曹操に従い議郎参司空軍事となった。精鋭虎豹騎を率い、河北戦で活躍。袁譚を討ち、搨頓を生け捕った。荊州攻…

董卓五三公

司徒王允曰:「廢立之事,不可酒後相商,另日再議。」於是百官皆散。(『演義』第三回) 酒行數巡,王允忽然掩面大哭。眾官驚問曰:「司徒貴誕,何故發悲?」(『演義』第四回) 司徒楊彪曰:「關中殘破零落。今無故捐宗廟,棄皇陵,恐百姓驚動。天下動之至易,…

蒼天与太噺(三)

関さんが召集した闇社会の実力者のなかに、仏教徒がいます。相変わらず資料史料を読み込んでらっしゃる。 この後ほんとに仏教が世を救う時代になっちゃいますし、また同様に次代の信仰を担う道教に「我らは太平道と同じ道を辿るつもりはない」と言わせている…

前後の劉氏

「いつか書きたい『三国志』」―劉焉と劉表は、帝位を称した「てぃーえすのワードパッド」―後漢末の劉氏についての戯言 この話、ぼくにも心当たりがございます。 「お忘れかい阿備。おまえのお父様も、お祖父様も、おまえのように沓を作り蓆を織り、土民の中…

蒼天与太噺(二)

なんてことない1コマですがこの孫狼、架空の人物ではござらん。 建安二十三年,陸渾長張固被書調丁夫,當給漢中.百姓惡憚遠役,並懷擾擾.民孫狼等因興兵殺縣主簿,作為叛亂,縣邑殘破.固率將十餘吏卒,依昭住止,招集遺民,安復社稷.狼等遂南附關羽.羽…

この記事を編集したやつちょっと来や…来てください

wikipedia「范曄」よりの引用です。 范曄は無神論者だった。『後漢書』の中で、彼は人に諂う仏を猛烈に非難した。仏教をおかしいと思い、特に神が不滅であるという説と因果応報の説法を潔しとしなかった。そして仏教を信じる後漢の桓帝 (漢)にきつく風刺を行…

蒼天与太噺(一)

「曹操は、これらの自己の能力の中から、「名士」層へ対抗し得る文化的価値として、「文學」を選択したのであった。」(『三國政權の構造と「名士」』第四章第三節)どう見ても義浩先生です、本当にありがとうございました。と、いうことはこれも名士のことだ…