与太噺
(攸 ´・ω・`) (´・ω・` 宣)(´・ω・` 景)
文王っていいなぁ ( ゚д゚)ホスィ… あいつから貰うかぁ ( ゚д゚) (文 ・ω・)
問題です。 いわゆる三国時代の人物で、司空などを歴任し、その子孫が皇帝になったのは誰でしょう?
太祖高皇帝、諱は道成、字は紹伯、姓は蕭氏、小諱は鬬將。漢の相國蕭何の二十四世孫なり。(『南斉書』高帝紀) 蕭何の子孫だったんですねー。 てことは劉邦の王朝は、一度は曹参の子孫に、二度目は蕭何の子孫に滅ぼされた訳ですね (´・ω・)カワイソス
第三回、文帝太子ダービー!(゚Д゚≡゚Д゚)イエー 番 名前 父母 性齢 脚質 国 オッズ 予想 1 曹協 曹丕李貴人 牡6 逃げ 贊王 6.8 2 曹蕤 曹丕潘淑媛 牡4 先行 北海王 5.0 ◎ 3 曹鑒 曹丕朱淑媛 牡3 逃げ 東武陽王 5.9 4 曹霖 曹丕仇昭儀 牡5 差し 河東王 4.2 ○ 5…
あけましておめでとうございます。 昨年は曹叡をディスったり『三国志演義』に傾倒したりした一年でしたが、本年も変わらずがんばって曹叡していきたいと思います。 もっか曹叡に関して興味があるのは、その母親である"甄洛"がその生前、曹丕の妻妾の中では…
てぃーえすさんのまとめが楽しそうだったので僕も真似しましたヽ(゚∀゚)ノ こうやって見ますと、下半期から露骨に演義厨へと傾倒していたことがよくわかります(´・ω・)
『三国志』曹爽伝に「夏侯文寧の女、名して令女。」とある通り、割鼻で有名な夏侯令女の父親は夏侯文寧と言います。 それが夏侯令女を「夏侯の令女」ではなく「夏侯令の女(娘)」とする誤りがありまして、よって夏侯令ってゆうほんとはいないはずのお父さんを…
特にちゃんと調べたわけでなく、卒論をやっとる時にそんな印象を受けただけなので、マヤの予言みたいな感じで読んでいただきたいのですが(・ω・) スタートは1840年頃、天保年間の『絵本通俗三国志』の刊行です。 その30年後の1870〜80年代、明治1…
「南海タイムス社」 ‐特集「始祖伝説 問われる真偽 原本にない丹那婆伝説」 http://www.nankaitimes.com/toku_kiji/tanaba.html 島内で最も有名な始祖伝説「丹那婆伝説」が、実は誤った引用によるものだったのでは・・・。 それが上記南海タイムスさんの特集…
今から200年ほど前、 高橋與市、 という漢学者が八丈島は三根地区におりました。*1 この人は著作『綜嶼噺話』で、以下のように述べているそうです。 『後漢書』巻一一五の東沃沮の条に、 「海中ニ女国アリ、男ナシ。人或ハ伝フ、ソノ国ニ神井アリ、之ヲ窺…
ツイッターで聞き思い出しました。 今日は、周瑜が亡くなった日なのです ( -ω-)人ざまぁ ちなみにこの12月3日の典拠について、現行の陳寿『三国志』や『三国志演義』には見られないため、その出典が一時期話題になっていたようです。 その様子はこちらの…
219年、曹操政権は孫権を南昌侯に封建しました。関さん倒したご褒美ですね。 そして221年秋、孫権は魏王朝より呉王に封建されます。 なんか当たり前のように考えていましたけど、改めて考え直すと、何故わざわざ呉に改封したのかちょっと不思議です。…
222年、孫権の王位は曹丕に剥奪されてしまい、以降の呉王は孫権の自称だったと思われます。 それでもその後も引き続き王国の体裁があっただろうことは、225年に顧雍が丞相に任じられていること、孫登が引き続き王太子であったことから分かります。 さ…
(延熙)十五年,呉王孫權薨ず。 ―後主本紀列伝 前の記事で孫権の呉王は魏ないし漢のどちらに由来するものか、と書きましたが、どうやら蜀漢的には、孫権は漢王朝によって呉王に封建されていたようです。しかも即位もなかったことにされています(笑)*1 これは…
孫呉には、呉侯に封建される皇族がしばしばいました。 たぶん何かしら特別視されていたと思うんですけど、よく分かりません(´・ω・`) 後漢での漢中王劉備、西晋での晋王司馬叡の様なものでしょうか。 ・孫策 198年、烏程侯から改めて呉侯に封建されました。…
關内侯、秦の賜爵十九等を承け關內侯と為す、土無く、寄食在所縣,民租多少、各々戸數を限と為す有り。 横浜の関内なんてのは、明治維新で新爵制が出来て後の関内侯を賜った人たちが多数住んだので、関内って言うらしいです( ´゚ω゚`)
劉聡の建元元年正月、流星が平陽の北十里に落ちた。 それを見れば"肉"で、その臭いは平陽まで届き、哭き声は昼夜止むことがなかった。 数日後、皇后の劉娥が蛇と虎を産んだ。二匹は暴れまわって逃げ出したが、その後"肉"の傍らで見つかった。 この時、劉聡は…
劉聡の妻の劉娥は字を麗華といい、太保劉殷*1の娘である。劉聡は召して右貴嬪として甚だ寵愛した。劉娥は皇后を拝し、……薨去するに及び、武宣皇后と諡された。 その姉妹の劉英は字を麗芳といい,劉娥と共に召されて左貴嬪を拝した。武徳皇后を追諡された。 ―…
皇后の劉氏は病が篤くなると、泣きながら「妾の叔父劉昶は子がなく、妾を幼い頃から養ってくれました。今その恩に報いたく思います。また妾の叔父劉皚の娘の劉芳は徳色が備わっておりますので、願くば彼女を後宮に入れていただけますよう」と訴えた。言い終…
呂布は陳宮の言を聞きても心を決めることができず、貂蝉に打ち明けた。貂蝉が曰く「将軍は私を思って、軽々しく城から出ることありませんよう」呂布曰く「憂慮することなかれ。我に画戟と赤兔馬あり、誰があえて近づけよう」……呂布はこれ以降終日出ることは…
廖化は元黄巾賊である。 廖化は蜀漢の滅亡後に死ぬ。 黄巾の乱で20才ほどだとしたら、没年は100才! この謎に対してネットでは、以下の「三国志博物館集解」さんの様に、廖化が黄巾賊という設定が演義の創作であることを指摘、よって廖化の長寿も演義の創作…
一年くらい前からずっと下書きに保存されていた記事です。(´・ω・`) そのうちちゃんと書ききろうと思っていたんですけど、面倒くさくなったのでぶっぱなしました。(´・ω・`) 【鹿蜀】 又東三百七十里,曰杻陽之山,…有獸焉,其狀如馬而白首,其文如虎而赤尾,其…
先日こちらで記事にした架空三国志物語「諸葛亮にして死せざりせば」について。 作者は清朝雍正帝から乾隆帝期の夏綸という人。この人に「南陽楽」という戯曲があるのですが、その粗筋を久保天随が『新訳演義三国志』の付録として載せています。これが「諸葛…
最近の検索ワードを見ていたら何やら吉川三国志の古い版本に関する単語がやけに目立ちまして、おそらく同じ方なのでしょうか?随分珍しいことを検索されているなと思いましたが・・・もしまだうちのブログをご覧でしたら、自分の分かる範囲で書ければと思い…
先日京都に遊んだおり、「諸葛亮にして死せざりせば」と題する短篇が古い一冊の書物に収録されているのを発見しました。読んでみると、まさしく三国時代の戦争について記してあり、諸葛孔明の五丈原以降に関するすべての記述が、『三国志演義』と異なってい…
昨日までゼミに行っておりまして、これはそこで発表した時のレジュメです。 ぼくのレジュメなんでクオリティはアレなんですけど、せっかく作ったのにゼミ発表で使うだけじゃもったいないと思いまして、ぱなしておきましょう式ですね。 http://wiki.livedoor.…
先日、うちのブログに「池田東籬亭 通俗三国志」のキーワードでいらっしゃった方がいらっしゃいました。 東籬亭をググってしまうなんて相当の猛者勢とお見受け致しましたが、もしこの方が池田東籬亭と『通俗三国志』の関係について基本的な情報を探しておら…
(献帝)又問玄紱、「祖宗何人。」 先主、「本祖十七代孫、中山靖王之後。先君漢靈帝、因十常侍弄權、落於百姓之家。」*1 陳寿『三国志』では不明である中山王劉勝と劉備までの間の系譜ですが、こちら『三国志平話』ではその間に17世代あったとしています。 …