与太噺
矢のようにけたたましく過ぎていった二年間でした。 新潮社より、吉川英治『三国志』が新装版で好評刊行中 同じく新潮社文庫より、『吉川三国志』を踏まえた渡邉義浩『三国志ナビ』が発売。第二章 「三国志」人物伝の作成を担当。『吉川三国志』に準拠した人…
先日のBSプレミアム「ザ・プロファイラー」という番組にて諸葛亮が特集されていましたが、ご覧になられたでしょうか? 監修・解説はおなじみ渡邉義浩先生でしたが、個人的にはVTRで渡辺精一先生が出演されていたことにびっくりしました。二松でお世話になっ…
しかも晋の帝室司馬氏とも間接的な姻戚関係にあります。
西晋の名将羊祜と司馬師の皇后羊氏の姉弟が、かの蔡邕の外孫であることは有名です。 ただ、右図を見ての通り、羊姉弟と蔡邕では生没年がずいぶんと離れてますよね。蔡氏が蔡邕最晩年の娘だったとしても、30年は離れすぎです。蔡氏はわりかし高齢の出産だっ…
遼西單于蹋頓尤彊、為紹所厚、故尚兄弟歸之、數入塞為害。 ―『三国志』巻一 武帝紀 建安十一年 前々からこの「蹋頓」の読み方がわからなかったんです。 wikipediaでは「トウトン」 『蒼天航路』では「トウトツ」 『秘本三国志』も「トウトン」 三国志大戦で…
DNA解析の結果、曹氏と夏侯氏の間に遺伝的一致はなかった、すなわち曹嵩は夏侯氏から養子に入ったのではなく、曹氏傍系の出身だったのだ。 そんな中国の研究が三国志界隈を震撼させています。 曹操出自の謎に完全決着というセンセーショナルなニュースは…
『三国志』裴注でもよく見る干宝『捜神記』は、唐修の『隋書』経籍志では史部の雑伝に分類されています。他では劉向『列女伝』や習鑿齒『襄陽記』や慧皎『高僧伝』などなどが載せられている部分です。 『旧唐書』経籍志でも同じく史部にありましたが、これが…
1909年、西夏国の遺跡カラホト(黒城)が発見された際に出土したという、金代の関羽画であります。『三国志演義』や『三国志平話』よりも古い、現存最古の関羽像と言われています。しかしながら関羽の鬚や青龍刀という、現在の関羽像に通じるアイテムが…
我われはこの男を知っている! いや!この重棗の如き顔色とこの美髯を知っている! 関龍逢 後述の『新唐書』宰相世系表にて、関氏の祖とされている。 正史を検索してみると、「関龍逢は、夏の桀王の臣である。比干は、殷の紂王の叔父である。二人はともに諫…
昨年秋に訪れた「時空をかける三国志」展では勉強になることがたくさんでしたが、特に蒙を啓かれたことが、この『画伝三国志』の存在であります。 『画伝三国志』 ・全十篇七十六巻 ・文政十三(1830)年〜天保六(1835)年刊行 ・書肆 江戸両国 大…
【審議中】( ´・ω)(´・ω・)(´・ω・`)(・ω・`)(ω・` ) 元禄二年から五年に刊行された、湖南文山『通俗三国志』の初版本です。たぶん 300年前に生まれた、日本で最初の「三国志」であります。たぶん
貂蝉って人は、もともと民間伝承出身で、しかも『三国志演義』でもって大きく取り上げられたということも加わって、作品によっていろんな人物像のバリエーションを持ってる人です。漢の忠臣であったり、呂布を慕う女性であったり、また関羽と深い仲になった…
『三国志演義』で検定を作ってみました。 10コの「三国志説話」のうち、『三国志演義』にあるものはどれか、ないものはどれかっていうシンプルな問題です。 でもすごく難しくしてみたので、ぜんぶわかったらすごいと思います( `・ω・)・『三国志演義』検定…
←これ このかぶりものは「冕冠」と言うそうで、じゃらじゃらしてるやつを「旒」と言うそうです。たぶん。 冕冠、垂旒、前後邃延、玉藻。……冕皆廣七寸、長尺二寸、前圓後方、朱䖝裏、玄上、前垂四寸、後垂三寸、係白玉珠為十二旒、以其綬采色為組纓。三公諸侯…
漢の光武帝は、高祖から数えて九世の孫にあたります。 高祖―文帝―景帝―劉発―劉買―劉外―劉回―劉欽―光武帝 後に彼は自らの「九世」というキーワードと符命とを関連させることで正統性を主張しました。 そして高祖から元帝までが八世であったため、 高祖―文帝―…
こないだちょっと魏蜀正閏論の話になったときに、蜀漢が正統として弱いのは、やっぱりこれを継承する王朝がなかったからだろうという感じの話をしました。 曹魏でしたら、司馬晋がここから禅譲を受けたことによってその正統性が保障されました。晋以降も劉宋…
最近ではその様な論文を読みます。 だいぶんイメージが変わりました。
4月に更新された三国志ブログさんで興味深かった記事を集めました。ヽ(・ω・)/
【25年】 ____ / \ かわいそうな更始陛下… / _ノ ヽ、_ \ 赤眉のせいで… / /⌒) ⌒゚o \ もし洛陽まで来れたら淮陽王にするお | / /(__人__) | 本当に来れるものならな… \/ / ` ⌒´ / / ̄ ̄\ / \ ノ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ノ |:::::: | イ二二∞∞∞∞…
29X年、時はまさに世紀末! しかし漢王朝はまだ死滅してはいなかった! \テーレッテー/
3月に更新された三国志ブログさんのうち、僕が楽しいなと思ったものを集めました(・ω・)
『通俗三国志』を翻訳した湖南文山に関しては、一説には京都の義轍と月堂の兄弟のことであるとされていますが、彼らはこの他にも『通俗漢楚軍談』や『通俗両漢紀事』、『通俗唐太宗軍鑑』といった通俗小説も翻訳していました。 そしてその時に用いられたペン…
2月に更新された三国志ブログさんのうち、僕が楽しいなと思ったものを集めました(・ω・)
この1月に更新された三国志ブログさんで特に面白かった記事を、僕のブックマークの中から6つ、選んでみました。 もし他にもすごいブログさんあるのに抜け落ちてたとしたら、きっとそれは僕がまだ知らないブログさんなので是非教えてください(゚∀゚)ノシ
諸君 私は漢が好きだ 諸君 私は劉氏が好きだ 諸君 私は漢王朝が大好きだ高祖が好きだ 文帝が好きだ 武帝が好きだ 宣帝が好きだ 光武帝が好きだ 明帝が好きだ 章帝が好きだ 昭烈帝が大好きだ蕭何が 張良が 韓信が 陳平が 訒禹が 呉漢が 馬援が 馮異が 関公が …
ウィキペディアで諸葛孔明を調べますと、諸葛質、諸葛懐、諸葛果、諸葛望なる人たちのことが書かれています。 張澍『諸葛忠武侯文集』によれば、諸葛質という息子がおり(故事巻一「雑記」)、また諸葛懐という息子・諸葛果という娘がいたとされる(故事巻一…
司馬朗、司馬懿、司馬孚ではない、マイナーな八達について『晋書』宗室伝からちょこっと。 基本的に、みんな魏代で亡くなってしまってますね。 ○司馬馗(季達)・四男 魏で魯相・東武城侯。 ○司馬恂(顕達)・五男 魏で鴻臚丞。 ○司馬進(恵達)・六男 魏で中郎。 …
wikipedia「曹奐」や「魏 (三国)」には、曹魏の末裔として以下の様な説明がされています。 479年、蕭道成が宋から禅譲を受け斉となったが、蕭道成に禅譲を勧める上奏に、陳留王の曹粲が名を連ねている。同年8月、王位を除かれた。 曹氏の末裔が晋王朝・宋王…
「三国与太噺」-張楊の字について ちょっとだけ補足です。 張楊の字は『三国志演義』でもやはり稚叔であり*1、また中文ウィキペディアも同様であったので、やっぱりこっちが正しいのでしょう。 そしてここまでインターネットで広く誤りが拡大してしまった理…
どうでもいいことだから、これまで誰からも指摘されなかったのでしょうが・・・(;・д・) 張楊、字は稚叔、雲中の人なり。(『三国志』張楊伝) この通り張楊の字は「稚叔」であると『三国志』にはあります。 だがコイツを見てくれ。 ウィキペディアの「張楊」…